2011年01月23日

個展「兎神記拾遺〜巻之一」のお知らせ



瓜南直子展「兎神記拾遺〜巻之一」が始まります。

2011/1/24(月)〜/2/4(金)森田画廊(銀座1-16-5 銀座三田ビル2F http://www.ginzamoga.com/)にて。

会期中、日曜日のみお休みです。

80号からミニアチュールまで、14点を展示しています。

本展は、「兎神記」という私の生涯のテーマの断片を観ていただく展覧会として始まりました。一年に一度くらいのペースで、「卷之二、卷之三…」と続けてゆくつもりです。

いつか、私が兎神国に棲める日まで。





夜の図鑑 調整済M.jpg
『夜の図鑑』S30



内容については下記を参照下さい。

展覧会案内アート・アクセス http://bit.ly/g6kNYr


ブログ版=瓜南直子展=「兎神記拾遺〜巻之一」3.
http://kanannaoko.seesaa.net/article/181022537.html




「兎神国」の国造り
http://kanannaoko.seesaa.net/article/174353709.html





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■ブログ版=瓜南直子展=「兎神記拾遺〜巻之一」7.



『けものへん』

けものへん 調整済M.jpg






江戸の不良にあこがれていた。

絵を描き始める前後のこと。江戸時代の不良って、いったいどんな風だったんだろう、と興味を持った。当時にわかに増え始めた江戸学の文献や「吉原夜話」、「守貞漫稿」、「江戸名所図絵」、江戸のアウトロー特集のムック本、さらに黄表紙などもひもといてみたりした。しかし、有名な町奴や旗本奴についての記述はあるものの、どんな時代でもいたであろう、ちょっとしたはずれ者、スネ者の生態はわからない。さらに「明治百話」、「三浦老人昔話」、 「日本残酷物語」あたりから、かすかに残る江戸の匂いを探ってみたりしたが、もうひとつイメージがわかなかった。


「ストリート・チルドレン」という小説を読んだのは、まさにそのころ。20年は前のことだった。新刊を本屋さんで見た時、まずタイトルが気に入った。で、どうやら江戸時代の内藤新宿が舞台らしい。大いに興味をひかれて買って帰った。

読んでゆくうちに、「やられた」と思った。別に私は小説家になろうとしているわけでもないのに、こんな感想を持つあたりのナマイキさ。30を過ぎても、小娘に毛の生えたような青臭いヤツだったんである。

しかし、小説は私をとらえて離さない。時代の匂いをぷんぷんまき散らしながら、めくるめくクロニクルの渦。ひりひりの触感。あまりにいたましい官能。その世界に巻き込まれ、私は江戸から戦後へ、現在へと旅をした。



「ストリート・チルドレン」は、江戸という時代を遠くから見てあこがれていただけの私にとって、現在からの地続きに江戸があるということを実感させてくれた小説だった。

江戸まで地続きでゆければしめたもの。はずみをつけた私は、さらにさらに遡って行き、閑吟集、万葉集や風土記などの中に自分を置いたり、自分に似た何かを探すのがたやすくなって行った。太古からの日本の流れのどこにも身をおけるようになった。

その梯子をかけてくれたのが「ストリート・チルドレン」だったのだ。なのに、薄情な私は恩を忘れ、さも自分の手柄であるかのように得意顔で、「太古からの幾百層にも重なった時代のどこを掘り起こしてみても、かならずそこに私がいる。」などと書いていたりした。


20年ぶりに読み直すきっかけとなったのは、昨年の企画展「ストーリーテラーズ-小説と絵画展」。小説をテーマに絵を描くという企画にわくわくし、真っ先に頭に浮かんだのが「ストリート・チルドレン」。読んだ当時の印象しか覚えていなかったけど、なんだか匕首をつきつけられたように、この小説を選んだ。

ナマイキ時代をはるかに越え、すっかり素直になった私は、ああ、すべてのきっかけはここにあったんだとわかった。今ならはっきりとわかる。「兎神記」という世界観が私の中で熟成できたのは、盛田隆二の「ストリート・チルドレン」と、村上春樹の「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」のおかげなのだ。

「ストリート・チルドレン」との再会は、私の兎神記づくりに、違う観点から切りこんでゆける風穴を開けてくれるできごとだった。匕首は、絵を通して私に何ができるのかをもう一度考えよ、との意味でつきつけられたのだ。

そして、「ストーリーテラーズ」の展覧会をきっかけに、作者の盛田隆二さんともツィッター等を通じて交流させていただいていることを素直に喜びたい。




「けものへん」という言葉は、どんな時代にもあえぎながら生きてゆく、けだもののような「いたましい生」と「命のちから」への私のラブレターなのである。




「ストリート・チルドレン」 (光文社文庫) 盛田隆二著 http://amzn.to/dL45Ea







posted by 瓜南直子 at 14:34| Comment(3) | ブログ展覧会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

■ブログ版=瓜南直子展=「兎神記拾遺〜巻之一」6.



『月いずる国のー』

月いずる国のー。M.jpg




ある日気づいた。私は孤児のように現代にぽつんと生まれ落ちた子ではないのだと。

太古からの幾百層にも重なった時代のどこを掘り起こしてみても、
かならずそこに私がいる。同じ声でうたうものがいる。
虫やけものや魚だったり、老人や子どもだったり何かの化身だったりと、姿を変えていても。


神話の時代から、緑と岩清水に造形された、
この奇跡のような島だけが持つことができたものがある。
その感覚は誰もの内の深いところで、たしかな記憶として眠っている。それを掘り起こし、紡いでゆく。それが私の仕事だと思っている。
そして、私に描かれるまでのながいながい時そのものを、絵の中に棲みつかせたいと思う。
描く人も見る人も、共有する内なる感覚にうれしくなるように。


私の役割は、語り部のように物語を記し描いてきた祖先たちのの末裔として、その拾遺を描いている、というところでしょうか






『かみなづき』

すいこa.jpg






『しもなづき』

ねねこb.jpg





南北に寝そべる蜻蛉の島。

その空に浮かんでいるのは、ムーンチャイルドの「すいこ」と「ねねこ」。

「兎神国」から遣わされてきたのだ。



ムーンチャイルド、そのみなぎるちからを与えておくれ。沈みそうなこの蜻蛉の島に。

月と「かな」に護られているのだと教えておくれ。

蜻蛉島の美しさをもう一度、島の人々に教えておくれ。










posted by 瓜南直子 at 12:45| Comment(0) | ブログ展覧会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月19日

■ブログ版=瓜南直子展=「兎神記拾遺〜巻之一」5.

『微睡む月』
微睡む月M.jpg





兎神国は、月の国。

月は低い声で歌いながら、いきものたちを眠りにつかせる。彼らは、眠りで育つのだ。

樹の上で、枝を揺らして眠りたいと願ったいきものに、

月が与えてくれたのは、ウスバカゲロウの羽根と、出し入れのできる小さな爪と肉球。

空の月と水の月に見まもられて眠る。


水面に映る月の影を、魚が揺らしてゆくのにも気づかない。










『こたつ』
こたつS.jpg






「押し入れとか、櫃、ながもちなどの中にずっといたい。この小さな白い子とふたり、こたつのようにまるまって」

ちなみに、これは『函族』。鍵の掛かる中が大好きないきものだ。

木のウロも好きで、狭いウロに数匹かたまって、眠っているのをよく見かける。

函に入るときは、小さないきものや木の実、玉などをくわえてゆく。

函荒らしや、門兵に見つかると出てゆくのだが、お堂の縁の下や、壊れた塀の隙間などにひそんで、不安そうに次の函をねらっている。




posted by 瓜南直子 at 11:18| Comment(0) | ブログ展覧会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月17日

■ブログ版=瓜南直子展=「兎神記拾遺〜巻之一」4.




『黒の櫃
黒の櫃m.jpg


廊下を流れる水に乗ってゆくと、つきあたりの壁に大きな黒い櫃がある。

いつも鍵のかかっている、櫃の上に、ある朝見たこともない黒い花がたくさん添えられていた。

聞けば、西のいや果てに咲く花だという。

西のいや果てとは、あの低い山々が遠くまで続いている、あの先だろうか。

あの先には何があるのだろう。

白い蝶が、西の山を飛んでゆくのを、いちどだけ見た。








『菌族』
菌族m.jpg



「兎神国」の周辺に棲む、五族のうちのひとつ。

他には『函族』『水族』『狗族』『鉱族』がいる。

『菌族』は、旧い壁や樹の皮、石などに棲息している。夢をみながら、時々菌を吐く。それは甘い香りがする。

香りに誘われて近づくと、たいていそこにはいない。

菌の流れを読んで、影づたいに移動するらしい。うまく、影の径が続けばあっという間に、数十米移動できる。

影の中で、月に照らされた菌がきらきらと揺れていたら、それは菌族が去った跡である。









『水族』
水族m.jpg




水底から見上げる月は、笑っている。

水族は、ほとんどの時を水底で過ごす。白い龍のたてがみに潜んで月から降りてきた、という説もあるが、本当のことはわからない。

明け方のひと時だけ陸にあがり、帰ってゆく月を見送る。その時は、あちこちの岸や浜、池や湖沼の岩の上、井戸のそばで、思い思いの姿勢で寝ころぶ水族が見られる。


昔は飛べたとも聞くが、水底を好んだため、飛びかたを忘れてしまったようだ。



いつしかその背に苔が生え、亀の棲みかとなる。そして、千の時がその背に島を育てる。

小さな島を見つけたら、そっと潜ってみるとよい。島を背負って眠る水族に逢える。








posted by 瓜南直子 at 21:26| Comment(2) | ブログ展覧会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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