2011年03月28日

乾物に心うばわれ。その2 「豆を煮る 」




スタイリストをしていた頃、オブジェ制作の仕事の依頼も多かった。
女性誌やインテリア誌の仕事が主だったので、モデルさんの足元に廃材を組んだようなオブジェが欲しい、
とか枯れ木を使ったインテリアのオブジェを作ってほしいとか、
食材を使ってダイニングやキッチンを飾るオブジェ特集をしたいんですけど、というようなものが多かった。

そういう仕事は楽しいし、撮影が終ったあと、編集者やカメラマンが、
「これ、もらってっていいですか」と持って帰ってくれるのもうれしかった。

クリスマス用に、お花でないものでリースを作って下さいという仕事には燃えた。
これだ!!とばかりにキッスチョコ、キャンディー、うずらの卵、
英字新聞と金属片、基盤パーツのあれこれ、さまざまな形のマカロニ、
そしていろいろな豆でリースを作った。
この時ばかりは撮影が終っても、せこく「あげない」と言ってみんな持って帰った。

そして、その時はじめて豆の楽しさを知ったのである。



大豆、ひよこ豆、手芒(小さい白いんげん豆)、豌豆、浸し豆、花豆、
うずら豆、金時豆、レンズ豆、キドニービーンズ、黒豆。

以来、豆はかかせない食材だ
。湿気の多い土地で暮らしているので、乾燥豆にも虫がつきやすい
匂いがつかないように、二重にパックして冷蔵庫で保管している。
レンズ豆はニッカの「フロム・ザ・バレル」の瓶に入れている。
瓶はお気に入りだし、スープに入れる時には口を開けて、ザーッとすればよいのでとても便利。


110328_162448.jpg



豆は甘く煮るものでないかぎり、戻す時に少量の塩を加えます。
大豆や黒豆なら、このまま蒸し上げるだけでおいしくいただけるんです。
一晩水につけて戻した豆をゆっくり茹でます。
和風に使う以外は、つぶしたにんにく、つぶ胡椒、月桂樹、玉ねぎ1/4割りを入れてゆでます。
アクをすくってコトコト茹でて柔らかくなったら放置。
室温に冷めたら、使わない分は茹で汁も一緒に冷凍します。
豆の茹で汁はりっぱなスープストック。野菜スープなんかの水がわりに、この茹で汁を使ったりしてます。


110328_162425.jpg


ル・クルーゼやシャトルシェフなど、煮込みの得意な鍋を使えばカンタンです。
私は、気分と時間のあるなしによって、鍋を選んでいます。
基本は豆の顔の見えるやっとこ鍋でコトコトだけど、
お鍋にまかせてしまいたい時はシャトルトェフや、
ヴィレッジ・ヴァンガードで買ったミニ スロークッカーを使います。



では、お豆さんとイチャイチャしましょうか♪



【しょうゆ豆】

茹でた大豆をテフロンのフライパンにあけ、酒、醤油を注いで火をつけ、ゆっくりと煎りあげます。
少しみりんを足してもいい。弱火でころころと煎ります。
ほんわり、おいしそうな色になったら、器にあけておきます。
作ってすぐより、翌日のほうがなじんでおいしいはず。
箸休めに、酒の肴に、こういう一品があると落ち着きます。
黒豆で作ると、またこれは格段上の味。
これを大根おろしで和えて、紫蘇の葉の繊切りをまぜて、少し置いて味をなじませて食べるのもおいしい。

Image087.jpg



【えび豆】

京都や滋賀県の川魚やさんやお総菜やさんに、ふつうに売ってるお総菜です。
川えびがあればいいのだけど、手に入らないので干し桜えびで作っています。
たっぷりの出汁で茹でた大豆を煮ます。沸騰する前に弱火にしてコトコト30分くらい。
豆が出汁になじんできたら、砂糖、淡口醤油、みりんを加え、しばらく煮ます。
豆がひたひたになったら、豆の1/20くらいの桜えびを加え、
数分煮てえびの旨みを引きだし、火をとめて蓋をしてそのまま冷まします。
もう、なくなってしまった京都の「楽」のマスターのえび豆がおいしくて、
無理やり教えてもらった作り方です。
ほんとは川えびで、トゲトゲに上あご刺されたりして、イテテとかいいながら食べたい。

110320_212339.jpg



【昆布豆のしそ漬】

これは、夏にぴったりの豆料理。
20代の頃、昆布豆はおいしいけれど、煮込んだ昆布がどうも好きになれなくて、
もっと昆布をさわやかに食べたい、と思って作りました。
作り方はブログのこちら http://kanannaoko.seesaa.net/article/188780742.html に書いてあります。

【豆サラダ】

これもやみつき。お鉢抱えてしまいます。
ガルバンソや白いんげん豆、とら豆などで作ります。
玉ねぎやにんにく、月桂樹、粒胡椒などを入れて茹でた豆を熱いうちにザルにあげ、
ボールに移してみじん切りの玉ねぎとともにフレンチドレッシングで和えます。
こういう場合、私はマコーミックのフレンチドレッシングを使っています。
時々まぜて味をなじませ、ブラックペパーを挽き、パセリのみじん切りをまぶして出来上がり。
パプリカを降ります。

ひよこ豆S.jpg



【ガルバンソとほうれん草のイスタンブール風煮込み】

なぜイスタンブールなのかわからないけど、
どことなくエキゾチックな味わいなので、そう名付けてしまいました。
ヨーグルト入れたら、まさにイスタンブールかも。

ほうれんそうは茹でて適宜に切っておきます。
フライパンにオリーブオイルを、潰したにんにくを入れ、香りを引出します。
半分つぶれるくらい、やわらかく茹でたガルバンソ(こういう時はスロークッカーがお役立ち)を入れ、
しばし炒めたら塩、胡椒とクローブの粒とガルバンソの茹で汁を少し加えてしばし炒め煮します。
ほうれんそうも加えて味をなじませます。
私はここでシーズニングソースもちょっと加えます。パンのおかずにいいです。

【打ち豆の五目豆】

以前、イラストレーターの田代知子さんにいただいてから、すっかりはまったのが打ち豆。
これで五目豆を作ると、しみじみひなびた奥深い味わいになります。

打ち豆S.jpg



あぁっ。やっぱり乾物すごいっ!!




posted by 瓜南直子 at 21:05| Comment(0) | 保存食フェチ。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月27日

もう一度 蜻蛉島の美しさを。




封印M.jpg
「封印」M8号「表現者」36号 表紙原画




「なんかね、今、瓜南さんの絵を見てもらいたいと思ったんですよ。私も見ていたいと思ったし」

そんな電話がかかってきた。
神保町画廊の佐伯千佳さんからである。
佐伯さんは、「寝目物語」をプロデュースしてくれた「ギャラリー・ミリュウ」のスタッフだった方だが、
昨年独立して神保町に新しく開廊された。
個展の時は必ず観にきてくださっていたし、たぶん私の絵を気に入って下さってるんだ、
という感触はあったものの、今回、この時期でのお話に気持ちが熱くなった。

大震災、原発の事故と日本の未来がどうなってゆくのか不安でいっぱいの今、
画家や彫刻家、アーティストたちも、いったい自分に何ができるのか、の自問自答と、
役にたたなさへの忸怩たる思いに身もだえしている。

ミュージシャンならチャリティーコンサートをして売上を義援金として寄付できる。
物書きや漫画家なら、島田雅彦さんが中心となって始めた運動「復興書店」がある。
これは、作家たちが自著にサインをして送れば、復興書店は商品リストを作り、
それをウェブにアップする。あとは読者がお気に入りの本を買う。
売上から管理コストを差し引いた額を赤十字に寄付する。
つまり、「本を買えば、募金したことになる」というシステムだという。

しかし、美術家は商品としての価値と流通のシステムがあまりに独特すぎて、
作家個人でできることなんてないに等しい。

実際、真摯に美術をやっている人間にとって、制作の大前提は自己救済なのである。
だれかのために、といえばかなり抽象的な意味での
全人類の魂の救済の1mmほどの役にたつであろうか程度なんである。

twitterを見ていても、そういう作家たちの生身の声が浮かびあがってくる。
郵便局に行くたびに寄付をする。自分にできることはそれしかない。
あとはアトリエにこもってひたすら制作している。とか、
「誰かのために、なんて嘘っぱちはオレは言えない」
「救済なんて、おこがましい言葉を使うなよ」
「こんな時に芸術なんて何の役にもたたないよな」などなど。

おそらく私はかなり図太い。何よりも制作し続けられることを優先するだろう。
もう何年も、なんとか今月はしのげた的な生活をしているので、いつまで維持できるかわからないけど、
制作を続けることだけを大前提に考える。



twitterやfacebookにも書いたことだけど、
1995年のオウムと神戸の震災の時にあふれる情報から身を守る方法を見つけた。
それは単にテレビを切ることだった。

これでもかと押し寄せてくる映像の波にのまれ、テレビの前から動けなくなった私は、
一日中ベッドの中でテレビを見ていた。
頭の中は痛ましい映像に埋めつくされ、2ヶ月くらい何もできなかった。
オウムがワイドショーや特番で繰り返されるようになって、ようやく自分のおかしさに気がついた。
「目をそらしてはいけない」思いだけにとらわれていたのだ。
そして私はモジュール線をはさみで切った。それきりテレビを見ていない。
もちろん、現実を確認することは大切だ。
けれど、被災者の現実がテレビで共有できるわけではない。
へとへとになって自分の思い上がりに気が付いた。
自分の立っている場所で、なすべきことをするしかないのだ。
もちろん、痛い思いはみな同じ。
けど、立ち直れる人から立ち直って、すべきことをするしかない。
のまれてしまっては一歩も進めない。



思うに絵描きは、芸術家は、芸術の神に嫁いでしまった身なんではないかと思うのだ。
だから、他にはなんにもできない。神からお声がかかる間は作品を作り続けるしかないのだ。
今回は局地的な震災どころではなく、この資源のない島国、日本につきつけられた諸刃の刃だ。
どっちにどう転んでも、細く長く厳しすぎる道を歩くしかない。

よりにもよって、世界で唯一の被爆国が自ら選んだ原子力発電所で首をしめることになろうとは。
けれど、これだけ核問題、核による被害を生身で提供した国は他にはない。

私は自分の国を愛しているので、よい見方しかしないが、
ある意味「核に身をさらした国」になってしまったような気もする。




地震の直前に「表現者」にコラムの原稿を送った。
次号からは表紙のことばとして、絵について書くことになった。

その末尾を私はこう結んでいる。



「今号の表紙「封印」は、面の中に閉じ込められていた娘が、
まじないを解かれて初めて自分の目で世界を見た、と言うイメージを描いてみた。
彼女の眼にはどう見えるのだろうか、沈みそうなこの蜻蛉の島は。


どうかそのまっさらな目で、蜻蛉島の美しさをもう一度、島の人々に伝えておくれ。

ここは、月と「かな」に護られた島だと、教えておくれ。」




posted by 瓜南直子 at 15:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ミニアチュールとガラス絵展」と「常設展」のお知らせ






さほひめ つつひめ.jpg
左「つつひめ」 右「さほひめ」ミニアチュール



■4月1日〜16日 前回個展「兎神記拾遺〜巻之一」をした銀座 森田画廊で、「第17回 ミニアチュールとガラス絵展」が開催されます。
これは40余名の作家による、ハガキ大程度の大きさの小さな作品の展覧会。
小さな画面に、それぞれこれでもかの凝縮された世界を詰め込んでいて、実に見応えがあります。
出品作家は、岡村桂三郎 加藤良造 斉藤典彦 田宮話子 森山知己 瓜南直子他。
( 11:00〜18:30 期間中 3日と10日の日曜日のみ休)

私は、「つつひめ」「さほひめ」の2点を出品します。
「つつひめ」は夏の女神、「さほひめ」は春の女神を意味します。

今回は、ジェッソを塗ってはがして、揉んだ寒冷紗をパネルに張って描きました。
モノクロームな色合いと地の触感が気に入っています。







赤きうはごとa.jpg
左「赤きうはごと」 右「火薬」変50号


■4月1日〜4月23日の間、神保町画廊にて、近作10余点を常設展示いたします。 (月火休 12時〜18時)

前回の近作展に展示できなかったものと、「表現者」の表紙原画などを展示いたします。
期間も長いので、ぜひお立ち寄り下さい。



月光譜M.jpg
「月光譜」変15号(「表現者」32号表紙原画





神保町画廊 http://www.jinbochogarou.com/
森田画廊 http://www.ginzamoga.com/


posted by 瓜南直子 at 14:54| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月25日

乾物に心うばわれ。その1「すきみ鱈」


SBSH1632.JPG


すきみ鱈.jpg


計画停電にも慣れてきて、停電中の時間の使い方を工夫するようになってきた。

ツィッターで、第1グループは「たぬきさんチーム」 第2グループは「おさるさんチーム」 第3グループは「ぞうさんチーム」 第4グループは「かばさんチーム」 第5グループは「あひるさんチーム」などと名づけたら、何人かチーム名を名乗ってくれる人が出てきて、にわか隣組ができあがった。
次、おさるさんチーム停電入りまーす! などと言ってるとなんとなく連帯感が生まれる。
幼稚な遊びと言われればそれまでだけど、この非常時に真面目な議論や不安な情報でしゃちこばるばかりでは気が滅入るばかりだし、こんな遊びもいいかなと思ったのだ。


震災以来、買い物はあまりしていない。

停電の合間をぬって営業するスーパーが込み合うのは当然だけど、並んで並んで買い物をする気にはなれない。だいたい人ごみが大のニガテだし、殺伐とした空気に気持ちも凹む。
で、乾物などを利用して料理して食べている。



不安と絶望で心がふさいでいる時は、カップ麺やパスタやサラダより煮物がいい。
そんな説があるかどうかは知らないけれど、気がつけば乾物をもどして煮物を作っていた。

まず豆をもどして茹でた。大豆とひよこ豆と手芒(小さい白いんげん豆)。ひじきを炊いた。
高野豆腐をもどして炊いた。おからも煮た。
そして虎の子のすきみ鱈を水をかえながらゆっくりもどした。



すきみ鱈とは、真鱈の皮を剥いて塩水に漬けて干したもの。
生の鱈とは全くちがう、しみじみとした旨味に満ちている。

先日、ひなびた乾物屋さんで、すきみ鱈を見つけた時は思わずコーフンしてしまった。
スケソウダラのすきみなら鎌倉でも売っているけど、真鱈のものは最近、全く手に入らなくなっていたからだ。お湯でほとびらかし、ほぐしてお茶漬けや煮物に使うことが多いようだけど、
私はいつも「すきみ鱈の炙り」「すきみ鱈とじゃがいものグラタン」「鱈豆腐」「カナン風いもぼう」あたりをウロウロしている。
すべて、一般的な食べ方を知らぬまま、自分なりに見つけた食べ方。



どれも2〜3日水に浸して戻したものを使います。もちろん毎日水を替えながら。
夏場は冷蔵庫に入れて。ちょっと塩が残っている程度に戻します。


まずは「すきみ鱈の炙り」。
戻した鱈の半分をガスで炙って、あちちあちちとほぐして、
九条ねぎの刻みとポン酢をかけていただきます。

しみじみとおいしく、日本酒にぴったり。


この「すきみ鱈の炙り」を味わいながら、まぶたを閉じると浮かぶ景色がある。

北国の小さな駅の駅長室。
ダルマストーブの上で、しゅんしゅんお湯が沸いている。
駅長さんはヤカンを下ろし、すきみ鱈をあぶる。
程よく焼けたころ、それを裂いて渡してくれる。
家出でもして路銀がついたのだろうか、
私はうつむいて鱈をかじり、カップ酒を飲む。

あるいは真っ暗な夜の海岸に、一か所だけボウと灯りがともる苫屋。
一斗缶にくべられた薪がバチバチ言ってる。
なぜこんなとこに私はいるのか。
ここでも私は、おじいさんにもらった鱈をうつむいたまま口に入れている。

「すきみ鱈の炙り」には、このくらいの妄想をかきたてるパワーがあるのだ。




「鱈豆腐」は、すきみ鱈と豆腐の炊き合わせ。鍋物にもなります。
昆布と鱈の旨味をじんわりとお豆腐に吸わせます。
京都の「いもぼう」は棒だらとえび芋の炊き合わせだけど、私にはあまりに甘すぎる。
「カナン風いもぼう」はすきみ鱈を使い、淡口醤油とみりんくらいで炊き上げ、
柚子皮の繊切りを添える程度の淡い味付けに整えました。


今回の残りの半分は、ポルトガルのバカリャウ(干し鱈)のように、
「すきみ鱈とじゃがいものグラタン」にしようと思った。
じゃがいもと鱈の相性は抜群。しかも干した鱈だと、複雑で奥行きのある味わいになる。

よし、明日はグラタンだ!!

と勢いこんでいたら、町から牛乳が消えていた。

冷凍してあったサワークリームで代用して作りました。
まあ、それなりにおいしかったけど、さわやかさに欠けましたね。



失敗したー。牛乳が手に入るまで、もどした鱈を冷凍しておけばよかったんだ。







posted by 瓜南直子 at 16:03| Comment(0) | 保存食フェチ。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月10日

コラム 和食の散歩みち4.「豆腐族の頬ゆるむ」



冷奴.jpg




豆腐族の頬ゆるむ


田山花袋と国木田独歩が、制作のために日光の寺にこもり、
二ヶ月のあいだ毎日豆腐を食べ続けた、というのは有名な話。
日光の山々を背景に、お寺の広い縁側で、
ふたりの若い文士が豆腐を黙々と食べている姿は、しみじみ良いなと思う。

ただご飯のおかずが一丁の豆腐を二人で分けただけ、とはあまりに粗食。
飽きるかどうかは別にして、栄養的に見てあまりに少なすぎるのではないか。
でも当時の豆腐は今の四倍以上の大きさだったらしい。
おそらく戦後、食が多様化し核家族化が進み、
豆腐の大きさも変わっていったのだろう。

昭和三十年代はまだ大きかったようで
「豆腐半丁買ってきて」と、子供がおつかいに行かされたりしていた。

今でこそ、豆腐族を名のっている私だが、子供の頃は豆腐が苦手だった。
湯豆腐も冷や奴もすき焼きの焼き豆腐もかんべん。
器に取り分けられると、心の底から悲しかった。
いったいいつから豆腐族になったのか。
おそらくこの世には
「おいしい豆腐」と「おいしくない豆腐」があるのだ
ということがわかってからだろうと思う。



おいしい豆腐でいただく冷や奴は至福のひとときだ。

できれば庭に面した座敷の障子を開け放し、

蝉の声など聴こえていればよし。

カナブンなど飛んでくればなおよし。

うまいぬか漬、制服を着た中学生のように並んだめざし、枝豆なども並べたい。
もちろん冷酒はかかせない。

できれば凹んだアルマイトのお鍋持って、
お豆腐屋さんへ走って買ってきた豆腐でありたい。
冷蔵庫でいじけたように冷えたものでなく、
中の方はまだどこか人肌を感じるような豆腐を氷水に放って、
青いかえでの葉を一枚、浮かべる。

豆腐がおいしければ、薬味はあまりいらないのだが、
薬味をあれこれと並べるのも冷や奴の楽しみの一つ。

茗荷、紫蘇、新生姜、刻んだ古漬、
削りたての鰹節、しらす干し、切り胡麻。
好みの薬味をのせて、ちょっと醤油をたらす。
一口で食べるのがいい。

口の中でいくつかの味がきわきわとはずみ、豆腐がそれを受け止める。
ときどき、私はそれを焼き海苔でくるんで食べてみたりもする。

思わず、にまにまと頬がゆるんでしまう。



日も落ちてきた。

そろそろ、そうめんなど出てきてもよい頃だが、
私にはそんな嫁がいないので、
仕方なく重い腰を上げ、そうめんを茹でに台所へゆく。

そうめんの薬味は、もちろん冷や奴のお下がりである。

                                      表現者】321号「コラム和食の散歩みち」より転載



表現者32S.jpg





「表現者」ジョルダン株式会社刊  http://amzn.to/fTBsKj


                                    
posted by 瓜南直子 at 16:50| Comment(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。