2010年04月20日

絵を描き始めたころ―その2.

SBSH02771.JPG




絵を描くと言ったって、何画を描くのか、さっぱりわからない。油絵はなんとなく敬遠して、鉛筆や水彩絵具、ペンなどでイメージに形を与えてはみたものの、どうにも薄ぺったい。物質感が欲しかった。

油絵は感覚的にあわないけど、キャンバスの麻にひかれた。日本画の岩絵具の鉱物感にもひかれた。

しかし、当時の私は絵画の技術を何一つ知らないのだった。

知らないなら調べればよい、聞けばよい。で、技法書を買ってみた。‥‥わからない。技法書は、少なくとも基本的なことを理解してる人が読む本のようだった。入門書、なんてのも買った。‥‥やっぱりわからない。生の声を聞きたい。

そして、怒涛の取材攻勢がはじまった。

油絵科の友達に、電話をしてキャンバスの張り方を聞いた。日本画の友達を見つけては呑み屋に引きずりこみ、ビールをおごって岩絵具や膠の使い方を聞いた。一升瓶ぶら下げて仕事場へ押しかけては、制作中の絵や画材を見せろとせがんだ。

スタイリストやライターの仕事をこなしながらも、頭の中は絵のことしかない。あれこれ試して半年くらいした頃だろうか、ようやく30号の絵が一枚できた。

この一枚を描きあげたことで、自分が描いてゆく世界が言葉から離れ形として歩き始め、それに合う素材と技法が見つかったと思った。

そして何という怖いもの知らず。

その日に、貸し画廊の予約を入れたのだ。しかも一年後の会期を。年も年だったし、人目にさらして自分を追い込む必要があったのだ。

向こう5年は、年1回のペースで個展をすると決めて、まず第1回め。

銀座「中沢ギャラリー」にて、極度の緊張と不安と高揚から幾度も自家中毒になりながら、20点の絵をならべた。

私はそれまでずっと学校でも酒場でも、アホな子でいたから、個展をしたこと自体を人は驚いたらしい。

しかも、なんかややこしそうな絵で。

「君がこういう絵を描くとはねえ」

見に来て下さった方々の感想は、おおむねこんな感じだった。

ひりひりと心が灼けるような初個展だったが、通りがかりで絵を持って下さった方も何人かいて、8点の絵がお嫁入りした。そして次回の個展を翌年「ワコール銀座アートスペース」で、と決めた。


絵にたどり着きはしたが、そこからも絵から始まることはめったになく、あいかわらず言葉から始まり絵にたどり着く、をくりかえしている。

周期は幾分ゆったりしてきたが、そうでないと私には絵が見えないのだ。

絵画論や芸術論からは、かなり遠いところに棲んでいる人なのであった。



写真は、「ワコール銀座アートスペース」での2回めの個展のDM。

1991年【つむぎ姫】M40



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posted by 瓜南直子 at 10:51| Comment(0) | 絵とその周辺に棲むもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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