2010年04月21日

絵を描き始めたころ―その4.

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みゆき画廊の個展のあと、いくつかの画廊やデパートから声をかけていただいた。

でも、絵を描き始めて3年ほどしか経っていない私が、とても周囲の期待にこたえられるわけがない。

中には、私の意思を抜きにして進められてしまった企画もあり、ちょっと待ってー!とあわてて差し止めたりもした。

すっかり混乱し、おびえ、おじけづいた私は、耳をふさぎ、膝を抱えて座りこんでしまった。そしてしばらくは、グループ展以外に出品しなくなってしまっていた。



「あかんで。カナンちゃん。みんな離れてしまうで。スタイリストなんかやめなさい。絵一本にしたらどうや」

そう言ってくれたのは、京都の伴清一郎画伯である。月刊美術の塚原さんに、伴さんの作品を初めて見せてもらったときは、正直おどろいた。描かれているものは全く違うのだが、絵のテーマの背骨のようなものが、めちゃめちゃ自分と近いのである。

伴さんの三越の個展を見に行き、以来深夜に長距離電話であれこれしゃべる友達となっていた。

「川上画廊で二人展せえへんか」

そう声をかけていただき、ようやく私は重い腰を上げた。

プレス用の紹介文を書き、パンフレットのデザインも自分でした。寄稿文は、地元で以前からつきあいのあった詩人の城戸朱理氏にお願いした。

展示も、横一列に並べるのではなく、壁面全体を構成した。今も個展で、好んでこの方法をとっているが、思えば二人展がその始まりだったのだ。

しかし、それまでの眠ったような活動からすると、驚くくらい積極的である。ぼんやりとではあるが、絵で生きて行こうとようやく覚悟を決めたのであろう。

二人展のタイトルは【游神記】。みゆきの後、もう一度ワコールでの個展のタイトルに【兎神記】とつけていたように、この頃から、自分の世界に地図を描きつつあったのだ。



絵を始めて、一番むずかしかったのは、描きたいテーマと、好みの質感があまりに乖離していることだった。工藝科、しかも鍛金(板金屋、鍛冶屋、旋盤工)専攻、というガチンコの立体出身なので、絵画のマチエールと錆び、腐食、荒らし、という金工のマチェールと直結してしまう。

描いてるものは、今も初期型の頃とそう変わらない。ただ、テーマと物質感をどう融合させるか、どう洗練させてゆくかを、この20年やってきたような気がする。



あのまま、見切りをつけず、好きと言うだけで書くことにこだわっていたら、自意識をもてあまし神経はハリネズミのようにとがったまま、知ったかぶりの文芸臭を漂わせるおばさんが出来上がっていたと思う。

今は、自分の絵を通して、この世界(森羅万象や歴史)とわかりあい、その喜びを人と共有することができれば、と思っている。


(了)

写真は二人展【游神記】パンフレット

1996年 左・伴清一郎【童神】変8 右・瓜南直子【月盗り姫】変10


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posted by 瓜南直子 at 13:14| Comment(0) | 絵とその周辺に棲むもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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