京都の家を引き払って拠点がなくなった私が、12日もの京都滞在ができたのは、
ヒロ坊という祖父のかつての弟子のおかげ。
左京区一乗寺にある彼のマンションのゲストルームが借りられたのである。
マンションは疎水に面してあり、大文字山もすぐそこ。
バストイレ、ミニキッチン、広い部屋、セミダブルベッド、デスクにテレビ、テーブルにソファ。
こんなホテル並みの環境で、夜はゆっくり休むことができた。

マンション前の疎水と大文字山
制作中に痛めていた背中と腰が搬入、展示でさらに悪化し、
重い作品の移動を手伝った時に仕上げてしまった。
吐き気がするほどの腰痛というのは初体験だったけど、
他の作家に寝る前の腰痛体操を習ったり、腰に10個もの置き鍼をしてなんとか回復した。

泉涌寺に通う道すがら東大路沿いでみつけたお店。あまりにそのままなネーミング。
京都にいるあいだに、ほっこりやさしい丼ものを食べたいと思っていた。
滞在3日めの泉涌寺の帰り、
めざした高台寺道の「こまつや」が跡形もなくなっているのにガク然として、
腰をかばいながらなんとか三条京阪にたどり着き、
次にめざした「伏見」が定休日だったことにボー然とし、
三条京阪近くの「篠田屋」に入った。

ここは前から気になっていたものの、京都に住んでいる時は
なぜか入る気にならなかった。
今回、旅人となってようやく念願が叶い、入ることができた。
外観はごらんの通りの旅心をくすぐる風情。
トクホンの灰皿も泣かせる。

何を頼もうかなぁ、と思っていたら「皿盛」という短冊が目に入った。
「皿盛」って何ですか、と聞くと
「ご飯にトンカツが乗ってそこにカレーうどんの汁をかけたもの」だという。
これは大いにそそられた。
祖父は「衣笠丼」を頼んだ。九条ねぎとお揚げの卵とじである。
「衣笠丼」は、ねぎも揚げも玉子も醤油に同化したような色合いで、
あまり食欲をそそられる景色ではなく、心なしかうつむき加減で祖父は食べていた。

そこへ運ばれてきた「皿盛」は、ごらんのように実に食欲をそそるものだった。
カツが薄いけど、そんなことは気にもならない。
「ほら、こっちが正解!」
と自慢げに言って、スプーンですくって口へ。
うっ。
からい…。ものすごく塩辛い。
淡い出汁の薄いカレーを片栗粉でとじてあるのだが、塩味だけは惜しみなく使ったらしい。
仕方ないので、ごはんとカツと妙に甘い福神漬けを中心に食事をすすめ、
結果としてカレーは2/3が残ることになってしまった。
それにしても、この店のカレーうどんは、このカレー汁の海にうどんだけが入っているわけで、
カツや白いご飯や、妙に甘い福神漬の助けもない。
頼んでしまった方には、心からお悔やみ申し上げます。
立地がものすごくいいってことは、
こんなの出していても屈強の経済が保てるってことなのね。
思えば、すぐ近くには修学旅行専門のホテルもあるわけなのでした。
これで一日を終わったらあまりな後味。
なんとか払拭せんければと、先斗町の「上燗や」さんへ。
今回搬入、設営その他でたいへんお世話になったCOMBINEの上山 潤さんに、
京都の知りあいのお店へ「観〇光」のポスター、チラシの配布をお願いした。

「観〇光」のポスターが貼ってある階段を上がって店へ。
うっ。
本日二回目のうっ。
京都の、友人でありながらストーカーのとーきちがいるではないかっ!
「上燗や」さんに行くなんて教えてないし、
Twitterでつぶやいてもいないのに、なんで?
「ふふふっ。ストーカーの鼻です」
と、あいかわらずわけのわからないことをいう。

とーきちは軽くあしらって、「生麩揚げ」をいただいた。
うちで真似しても、こんなにふんわり揚がらない。
突然だったので、主の滝本さんにはお目にかかれなかったけど、
奥さんの綾子さんとお会いできてよかった。
綾ちゃんは、後日泉涌寺にも来て下さった。
あ。とーきちも翌日来てくれたようでした。
せっかく出町柳を毎日通るのに「上燗や茶坊」に行けなかったのが心のこり。

「上燗や」「上燗や茶坊」
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/t-yui14/