2012年02月14日

目白の青く暗き春(中)



目白駅から、「すいどーばた美術学院」通称「どばた」に行く途中に「徳川黎明会」があった。
ここは瓦解後、新政府から徳川家に与えられた土地なのだろう。
りっぱな石の門があり、門から続く砂利道の両側に裕福な外人の家がたくさんあった。
映画「ゴッドファーザー」に出てくるロングアイランド(ロケ地はスタテン島)の家のような感じ。
周囲の住宅の中で、あきらかに異空間だったが、
そこの前を毎日行き来する汚い画学生たちはもっと異様だっただろう。

「徳川黎明会」には、大きなイチョウの木が何本もあって、
秋になると、私はそこのガブリエル君7歳と銀杏を集めて一袋百円で売った。
ガブリエル君が持ってきた木箱に乗せて。


でも、ガブリエル君はお昼になると、ママに呼ばれて家に帰ってしまう。
仕方なく私は木箱の前に一人で座っていた。
やがて出勤してきた講師にみつかり、「なにやってんだお前。今日は講評だぞ」と叱られる。
でも、「待っててー」というガブリエル君とかわした堅い約束がある。
「早くアトリエに行きなさい」とうながす講師の前で、少女漫画化した私は、
ガブリエル君が帰ってくるまではー、と身をよじるのだった。



いつもはお弁当を作って持って行ってたけど、ときどき近所の喫茶店兼スナックで
ピラフとかカレー、スパゲティー、定食などを食べた。
時には池袋まで歩いて、立教の学食まで百円のカツ丼を食べに行くこともあった。
池袋に行けば文芸座、文芸地下、と入ったら最後、数時間は出てこられない映画館があり、
出てきてお腹がすけば、新しくなったばかりの西武の屋上で120円のうどんを食べた。
ここのうどんは当時としてはめずらしく関西風で、お気に入りだったのだ。

どっぷりロックに沈みたい時は、渋谷の「BYG」や、吉祥寺「be−bop」通称バッピに行った。
そしてライブなら西荻窪「ロフト」。
新宿も「海賊」などいろいろ行った気がするけど、忘れてしまった。
一浪のころはまだバンドをやっていたので、スタジオで練習した帰りにメンバーと飲みに行ったりしていたけれど、
私が受験にどっぷりになってからは疎遠になってしまっていた。

ふだんはたいてい近所のスナック「ひかり」「K」「和」でサントリーホワイトをボトルで頼んでみんなで飲んだ。
その頃は、まずビールから、なんていうことはなくいきなりウィスキー。
酔っぱらうためには、ビールは高かったんである。




俺なんかさ、結局さ…。
お前のデッサンは似顔絵なんだよー!足りないのは重さだよ、マッスだ存在感だ!
うううー。同じことをN中先生にも言われたよ…
おれ、やっぱダメだわ、結構勉強できたし、今から普通の大学受けようかな。
おまえ、それでいいのか?ええー?いいのかぁぁぁーっ!
…いっぺんコンクールで一位取ったからってCクラスから藝大に行けるわけないし。
Y崎さん、この間の講評で前と全然違うこと言ってたなー… 

やっぱりピンク フロイドだよなー、うん。
NSPってなんだよ、ごめんごめんってかんべんしてくれよー。
…おれ、やっぱり中核に戻るわ。

ユーミンて言うなよ気持ち悪いー。
ああーーっ酒 こぼしたー、もったいねぇー。





吐き出された言葉が、会話にもならずにどろどろにうごめいて宙に浮かんでいる。
そして、どこかで女の子がシクシク泣いてる。

サントリーホワイトが空いたら、そこに煙草のケムリを吹き込んで充満して、シャカシャカ振る。
そして、マッチをすって投入。炎がぼわっと瓶の中で広がるのを見届ける儀式。
そして、新たにもう1本。

「あんたたちー。受験なんでしょー?こんなことしてていいのぉー?うちはありがたいけどねぇ」
とママさんが、お雑煮を運びながら言う。「K」のお雑煮はおいしかった。
焼き餅に出汁がはってあって、青菜と椎茸が入った玉子とじ。そして海苔が一枚。
当時、お雑煮はお正月のものと思っていたから、この小腹しのぎなお雑煮がすっかり気に入って家でもよく作った。
ちょうどサトウの切り餅などが出回った頃なのかもしれない。

悪酔いの王者はコークハイ。そして、より最悪なのがウィスキーをオレンジジュースでを割るもの。
ジュースみたいー とか言ってのんでるうちに胃が沸騰してくる。
特に濃いジュースで割るのがいけない。当時ならサントリー オレンジ50、今でいえばトロピカーナ系だ。

そして誰かが潰れていく。それを、少しまともなのがかついでゆく。
シクシクの女子も誰かが面倒みる。この場合は、翌日から一緒にお弁当食べる仲になってたりすることが多かった。

あの頃行ってた店には、本当に迷惑かけました。
自分たちのほかは、普通のサラリーマンばかりなのに(マルキン自転車の人が多かった)
ハードロックのLP持ち込んで勝手にかける、歌う踊る暴れる壊すケンカする泣く吐く…。



ある日、飲んだ帰りに目白通りを歩いていると、トラックが白菜をゴロゴロ落として行った。
うほほ、しばらくこれで食えると下宿住まいの子は鞄につめた。
そして、この幸せをご近所のみなさんにもわけてあげよう、
と、そのへんの民家のポストに白菜を一枚ずつ配って歩いた。

「白菜の郵便屋さんだよー」

新聞の束よろしく白菜を抱えてホッホッと掛け声かけて足音を刻んでいるのは、
あと4時間もしたら、新聞配達に行く子だ。白菜を抱えたまま、地べたで寝てしまったのもいる。
おれのだよー! これ、お母さんに、お母さんに!と白菜を取り合ってる男子と女子。
目白通りには、まだまだ白菜がいっぱい転がっている。
時々、車のライトに照らされ、白菜を潰してゆく音が聞こえた。



深夜の目白通りを、酔っぱらってふらふら歩きながら、
明日をも見えない受験生たちが白菜を配って歩いた。

景色は今も、記憶の底でかげろうのように泣いている。






posted by 瓜南直子 at 14:32| Comment(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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