2011年07月23日

「湯島五七五展」と上田晩春郎氏



昨年の夏、富士宮【RYU GALLERY】で、
『三叉路』伴清一郎・美濃瓢吾・瓜南直子三人展をした時、
美濃さんから、俳句や短歌をテーマにした展覧会を企画していると聞いた。
会場は「羽黒洞木村東介」。あの「ランカイ屋木村東介」の画廊である。
現在はお嬢さんとお孫さんが画廊を経営されている。

秋山祐徳太子、阿部清子、宇野亜喜良、伴 清一郎、美濃瓢吾、吉野辰海など十数名の多彩な顔ぶれに、
木村荘八、長谷川利行の物故作家作品を合わせての展示。

自作の句もあれば、古典からの引用もある。画面に句を書き入れた作品も多かった。

今回私はは、ここのところ勢いがついているドローイングと、
支持体を寒冷紗にした下地のものを出品した。
俳句や歌は好きなのだが、詠むたしなみは持ちあわせていないので、
北原白秋の短歌、永田耕衣、上田晩春郎の句を拝借した。



地球は香る 土の息 月こそ神よ まどかにて ‐ 北原白秋 ‐ P8
月こそ神よS.jpg



かたつむりつるめば肉の食いいるや‐ 永田耕衣 ‐ M8 (ドローイング)
かたつむりs.jpg




雪の夜の夢遠国に子を棄てし‐上田晩春郎‐ 変4 (ドローイング)
遠国S.jpg


他の〆切を抱えていて、初日には行けなかったのだが、
出品者のほとんどが顔を見せてなごやかな酒席になっていたらしい。

秋山祐徳太子さんとは、富士宮在住の写真家 銭谷均さんを通じて、以前から面識はあったのだが、
偶然鎌倉の飲み屋でお逢いしてから親しくさせていただいている。
「表現者」のパーティーでもご一緒したり、1月の個展にも来て下さった。
純情でかわいらしく、人なつっこい魅力的な方だ。

私がオーブニングに行けなかったことを
「なんだよー。来ないのー?」と残念がっていて下さったそうだけど、
北鎌倉「佗助」に飲みに来るとおっしゃってるので、
その時にたっぷりとお相手させていただこうと思っている。



上田晩春郎さんは、20年ちかく前にお亡くなりになったが、
若いころ、今は無き酒場「長兵衛」でよく、ご一緒せていただいた。
もとは鬼編集者だったと聞いていたけれど、
私が知っている上田さんは、端正なたたずまいと洒脱な飲みっぷり、
おおらかでチャーミング、かつ色っぽいお人柄で、
まだ小娘だった私に、こういう風に歳をとりたいと思わせて下さった方だ。

私が空想の中で酒場で一人飲んでいる老人を思い描く時、
モデルは決まって上田さんなのである。

上田さんのお宅は原節子宅の隣で、
お葬式の時には不埒な弔問客がそちらばかり見ていたけど、
きっと上田さんは
「ふぉっ ふぉっ。美人にはかなわないね。いや、ばぁさんだけどね」と笑っていらしたと思う。

没後届いた、上田さんの句集「夢の蛍」をひもといていると、
既成の俳句概念にはとらわれない自由な心と、
セクシーでユーモアに満ち、飄々とした句が並び、
その味わいを肴に酒を呑みたくなってしまう。



 着ぶくれて 燗の加減の やかましき

 行く年や 貸して返らぬ 本あまた

 ハンドバッグ ぱちと春夜の 拒絶音 (これは、ヒッチコックの「断崖」のシーンだったのかと、数年前にやっと気が付いた)

 じんぐるべる ゴッホは耳を 殺ぎにけり

 着ぶくれて 何にもしない 男かな 

  「夕焼」の題を得たれば
 「夕焼」といふ名のバアがあってもよし

 荷風忌や一日だけの人嫌ひ

 懐手厚顔にして老獪なり

ほかにも、川上宗薫のことであろう、雪の夜ポルノ作家は牧師の子
という句をおぼえているが、この「夢の蛍」には載っていないので、
他の句集か、句会「春燈」の会誌で見ていたものかも知れない。


上田さんAS.jpg

                   「長兵衛」五十周年記念の時。左から上田晩春郎さん、長兵衛の中川典子さん、「源氏」の大ママ(殿山泰司夫人)



上田さんBS.jpg

                          ハンチングにジャケツ、ステッキ。上田さんはいつもこのスタイル。



「夢の蛍」は、この先老域に一歩ずつ足を踏み入れて行く私のにとって、
「老域の歩き方」であり、バイブルである。





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2011年04月13日

「寝目物語」販売中!!

imemonogatari_karui.jpg



4月1日〜4月23日の間、神保町画廊における近作10余点の常設展示で、瓜南直子画文集「寝目物語」を販売しています。

『寝目物語』は、2000年〜2001年にかけて「月刊美術」誌上で連載した、小さなお話と絵をつづったページ。

2001年8月に、銀座ギャラリー・ミリュウで原画展を開催し、同時に画文集『寝目物語』を刊行しました。

神保町画廊 オーナーの佐伯千佳さんが、去年までギャラリー・ミリュウのスタッフだった縁もあって、今回ここで販売できることになりました。
くわしくは画廊HPをご覧下さい。神保町画廊 http://www.jinbochogarou.com/


そして、今回の展示によせて、アートライターの金田一好平さんに寄稿文をいただきました。金田一さんは雑誌「アートトップ」の編集者として活躍されていた方。昨年フリーとなり、現在は、アートに関わる独自の文筆活動をされています。お名前からおわかりとは思うけれど、あの金田一春彦氏の末裔でいらっしゃいます。なのに、私は金田一さんを見るといつも、飄々とした雰囲気を漂わせながら、いざ剣を抜くとスゴ腕の武士、というイメージを持ってしまいます。

寄稿文は、プリントして来廊された方にお配りしています。



惚恍(こつこう)の物語に遊ぶ 

老子によれば、「夷」、「希」、「微」というものがあって、それはそれぞれ「視ようとしても見えないもの」「聴こうとしても聞こえないもの」「捉えようとしても得られないもの」とあります。これらは追いかけても無駄で、結局「無」に戻ってしまい、その状態を「惚恍(こつこう)という」ともあります。

瓜南さんの作品も、そんなところから生まれてきたものなのでしょう。彼女の作品には必ず深い物語性がありますが、そのお話はきっちりとした四角四面なものではなくて、それこそ夢の中を歩くようなもので、横にそれたり上に飛んだり、ぐるっと廻って同じところに顔を出したりするような物語です。「日本からはじまって中国に渡ったはずだけれど、いつのまにか……。でも、やっぱり日本かな?」。溜息で飛んでしまうように朧げな、ゆったりとした登場人物が棲む世界は、ひょっとしたら作品を観たひとの心の世界なのかもしれません。

今回の10点程の作品には出版物の表紙になったものもあり、再度のお目見えという方もいらっしゃるかもしれませんが、このような時世だからこそ、夢の世界にしばし渡って、物語を追いかけて「恍惚」とすることも大切なことと思います。
                     
                                               アートライター 金田一好平





呼龍笛1.jpg
「呼龍笛」F8


そして私も今回の展示に合わせて「表現者」のコラムをベースに文を寄せました。
こちらもプリントして、画廊でお配りしています。




もう一度 蜻蛉島の美しさを。 
 
孤児のような気持ちを味わっていた。ながい間、私ひとりが薄寒い現代にぽつんと生まれ落ちた気分でいた。
いっそ明治の半ばに生まれて、先の戦争の前に死んでいたらよかったのに、などと思ってもいた。

子供の頃から古典や歴史が好きだったけれど、それは記された遠い物語であり、
いくらその世界にあこがれても、入ってゆくことはできない。
書物の中に、なつかしい匂いを嗅ぐほどに、私は寂しかった。

しかし二十年ほど前、ある小説を読んだのをきっかけに、
自分が立っている時代から、地続きに時代を遡ってゆくコツをつかんだ。
コツさえつかめばしめたもの。
はずみをつけて明治から江戸、室町、平安…と遡って行った時、
私は自分の体内に流れている日本という大いなる河を感じた。

太古からの幾百層にも重なった時代のどこを掘り起こしてみても、
そこに自分に似たものを見つけることができるようになった。
万葉集や風土記、閑吟集、絵巻物を開けば、私の声でうたう人がいる。
時には、虫やけものや魚だったり、老人や子供、何かの化身だったりと、姿をかえていても。

神話の時代から、緑と岩清水に造形された、この奇跡のような島だけが持つことができたものがある。
その感覚は誰もの内の深い処で、たしかな記憶として眠っている。
それを掘り起こし、紡いでゆく。それが私の仕事だと思っている。
そして、私が描くまでのながいながい「時」そのものを、絵の中に棲みつかせたいと思う。
誰もが共有する内なる感覚にうれしくなるように。

語り部のように物語を記し描いてきた祖先の末裔として、
私はまだ語られていない、いわば拾遺を描いてゆきたい。

 
今回展示している中に「封印」という作品がある。
これは、面の中に閉じ込められていた娘が、
まじないを解かれて初めて自分の目で世界を見た、と言うイメージを描いた。
彼女の眼にはどう見えるのだろうか、沈みそうなこの蜻蛉の島は。
 
どうかそのまっさらな目で、
蜻蛉島の美しさをもう一度、島の人々に伝えておくれ。

ここは、月と「かな」に護られた島だと、教えておくれ。


                                                 瓜南直子


封印M.jpg
「封印」M8












 

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2011年01月23日

個展「兎神記拾遺〜巻之一」のお知らせ



瓜南直子展「兎神記拾遺〜巻之一」が始まります。

2011/1/24(月)〜/2/4(金)森田画廊(銀座1-16-5 銀座三田ビル2F http://www.ginzamoga.com/)にて。

会期中、日曜日のみお休みです。

80号からミニアチュールまで、14点を展示しています。

本展は、「兎神記」という私の生涯のテーマの断片を観ていただく展覧会として始まりました。一年に一度くらいのペースで、「卷之二、卷之三…」と続けてゆくつもりです。

いつか、私が兎神国に棲める日まで。





夜の図鑑 調整済M.jpg
『夜の図鑑』S30



内容については下記を参照下さい。

展覧会案内アート・アクセス http://bit.ly/g6kNYr


ブログ版=瓜南直子展=「兎神記拾遺〜巻之一」3.
http://kanannaoko.seesaa.net/article/181022537.html




「兎神国」の国造り
http://kanannaoko.seesaa.net/article/174353709.html





posted by 瓜南直子 at 17:46| Comment(0) | ブログ展覧会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

■ブログ版=瓜南直子展=「兎神記拾遺〜巻之一」7.



『けものへん』

けものへん 調整済M.jpg






江戸の不良にあこがれていた。

絵を描き始める前後のこと。江戸時代の不良って、いったいどんな風だったんだろう、と興味を持った。当時にわかに増え始めた江戸学の文献や「吉原夜話」、「守貞漫稿」、「江戸名所図絵」、江戸のアウトロー特集のムック本、さらに黄表紙などもひもといてみたりした。しかし、有名な町奴や旗本奴についての記述はあるものの、どんな時代でもいたであろう、ちょっとしたはずれ者、スネ者の生態はわからない。さらに「明治百話」、「三浦老人昔話」、 「日本残酷物語」あたりから、かすかに残る江戸の匂いを探ってみたりしたが、もうひとつイメージがわかなかった。


「ストリート・チルドレン」という小説を読んだのは、まさにそのころ。20年は前のことだった。新刊を本屋さんで見た時、まずタイトルが気に入った。で、どうやら江戸時代の内藤新宿が舞台らしい。大いに興味をひかれて買って帰った。

読んでゆくうちに、「やられた」と思った。別に私は小説家になろうとしているわけでもないのに、こんな感想を持つあたりのナマイキさ。30を過ぎても、小娘に毛の生えたような青臭いヤツだったんである。

しかし、小説は私をとらえて離さない。時代の匂いをぷんぷんまき散らしながら、めくるめくクロニクルの渦。ひりひりの触感。あまりにいたましい官能。その世界に巻き込まれ、私は江戸から戦後へ、現在へと旅をした。



「ストリート・チルドレン」は、江戸という時代を遠くから見てあこがれていただけの私にとって、現在からの地続きに江戸があるということを実感させてくれた小説だった。

江戸まで地続きでゆければしめたもの。はずみをつけた私は、さらにさらに遡って行き、閑吟集、万葉集や風土記などの中に自分を置いたり、自分に似た何かを探すのがたやすくなって行った。太古からの日本の流れのどこにも身をおけるようになった。

その梯子をかけてくれたのが「ストリート・チルドレン」だったのだ。なのに、薄情な私は恩を忘れ、さも自分の手柄であるかのように得意顔で、「太古からの幾百層にも重なった時代のどこを掘り起こしてみても、かならずそこに私がいる。」などと書いていたりした。


20年ぶりに読み直すきっかけとなったのは、昨年の企画展「ストーリーテラーズ-小説と絵画展」。小説をテーマに絵を描くという企画にわくわくし、真っ先に頭に浮かんだのが「ストリート・チルドレン」。読んだ当時の印象しか覚えていなかったけど、なんだか匕首をつきつけられたように、この小説を選んだ。

ナマイキ時代をはるかに越え、すっかり素直になった私は、ああ、すべてのきっかけはここにあったんだとわかった。今ならはっきりとわかる。「兎神記」という世界観が私の中で熟成できたのは、盛田隆二の「ストリート・チルドレン」と、村上春樹の「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」のおかげなのだ。

「ストリート・チルドレン」との再会は、私の兎神記づくりに、違う観点から切りこんでゆける風穴を開けてくれるできごとだった。匕首は、絵を通して私に何ができるのかをもう一度考えよ、との意味でつきつけられたのだ。

そして、「ストーリーテラーズ」の展覧会をきっかけに、作者の盛田隆二さんともツィッター等を通じて交流させていただいていることを素直に喜びたい。




「けものへん」という言葉は、どんな時代にもあえぎながら生きてゆく、けだもののような「いたましい生」と「命のちから」への私のラブレターなのである。




「ストリート・チルドレン」 (光文社文庫) 盛田隆二著 http://amzn.to/dL45Ea







posted by 瓜南直子 at 14:34| Comment(3) | ブログ展覧会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

■ブログ版=瓜南直子展=「兎神記拾遺〜巻之一」6.



『月いずる国のー』

月いずる国のー。M.jpg




ある日気づいた。私は孤児のように現代にぽつんと生まれ落ちた子ではないのだと。

太古からの幾百層にも重なった時代のどこを掘り起こしてみても、
かならずそこに私がいる。同じ声でうたうものがいる。
虫やけものや魚だったり、老人や子どもだったり何かの化身だったりと、姿を変えていても。


神話の時代から、緑と岩清水に造形された、
この奇跡のような島だけが持つことができたものがある。
その感覚は誰もの内の深いところで、たしかな記憶として眠っている。それを掘り起こし、紡いでゆく。それが私の仕事だと思っている。
そして、私に描かれるまでのながいながい時そのものを、絵の中に棲みつかせたいと思う。
描く人も見る人も、共有する内なる感覚にうれしくなるように。


私の役割は、語り部のように物語を記し描いてきた祖先たちのの末裔として、その拾遺を描いている、というところでしょうか






『かみなづき』

すいこa.jpg






『しもなづき』

ねねこb.jpg





南北に寝そべる蜻蛉の島。

その空に浮かんでいるのは、ムーンチャイルドの「すいこ」と「ねねこ」。

「兎神国」から遣わされてきたのだ。



ムーンチャイルド、そのみなぎるちからを与えておくれ。沈みそうなこの蜻蛉の島に。

月と「かな」に護られているのだと教えておくれ。

蜻蛉島の美しさをもう一度、島の人々に教えておくれ。










posted by 瓜南直子 at 12:45| Comment(0) | ブログ展覧会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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