2012年02月20日

「観〇光」鎌倉展にむけて…

  

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                                                              円覚寺 選佛場



17日の金曜日は「観〇光」のメンバー、中堀慎治、伴清一郎の二人と、北鎌倉 円覚寺に行ってきた。

去年の「観〇光」の前から、今後 京都だけでなく鎌倉でもぜひやりたいという話になってきていたのだ。




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                                        朝比奈恵温さん 円覚寺塔頭 龍隠庵にて




今年に入ってまず、浄智寺住職にして、円覚寺 教学部長である朝比奈恵温さんに、お話を伺った。
ぜひ実現の方向に持っていきましょう、と頼もしいご返事をいただき、
さらに、鎌倉の若手住職の方々をご紹介いただいた。
覚園寺 仲田順昌さん、淨光明寺 大三輪龍哉さん、極楽寺 田中密敬さん、明王院 仲田晶弘さんの
みなさんと会食して、お話をさせていただいた。



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                                  左から、大三輪さん、朝比奈さん、明王院 仲田さん、田中さん





それを踏まえて、昨年までの実行委員長であり「観〇光」の精神的支柱である中堀さん共々、
具体的なお願いに上がったのだ。

会期は来年の春、京都展 3月、鎌倉展 4月、という展開になる。
関西と関東を連動させてゆくことで、「観〇光」はより大きな存在となってゆくだろう。

私たちは、「観〇光」の背骨を屈強なものに鍛え、単なるイベントでなく、
日本の文化を次世代に繋ぐために畑を耕し、種を蒔く運動にしたいと願っている。
出店作家が自らの作品展示を通して、担うものは大きい。

そしてさらに、この運動から波状的にさまざまなムーブメントが起こることを期待している。



鎌倉ならカナンだろう、ということで、「観〇光」鎌倉展への踏み分け道づくりを任された。
実に非力ながら、できることをしていきたいと思っている。

京都とは全く違った、鎌倉らしい展開を作ってゆきたい。



地元鎌倉のみなさま、どうぞよろしくお願いします。









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タグ:観〇光 鎌倉
posted by 瓜南直子 at 16:05| Comment(0) | 鎌倉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月03日

新春 巨大蒲鉾入刀の儀


年末、思わず購入した 井上蒲鉾店の1kgの巨大蒲鉾。
そのズシリとした重さにコーフンした私は、大晦日年越し営業の​「ヒグラシ文庫」に持ち込んだ。
年が明けてから店主 中原さんによる入刀の儀が執り行なわれ、
みんなで目をまんま​るくしながら、そのあまりの旨さにうなったのだった。



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鎌倉 井上蒲鉾店とは、すでに25年近くのおつきあい。
広告の写真コーディネートやコピー、店舗、商品企画などなど、
鎌倉というのんびりとした町独特のペースで、お手伝いさせていただいている。
最近はwebにも情報媒体を広げているけれど、
いずれも鎌倉という町と、蒲鉾という伝統食品を
「季節の匂い」や「記憶の景色」に息づくようにと思いながら制作している。



この年末に、恒例の大蒲鉾の手付けが始まると聞いて、
現社長 牧田知江子さんの長男 芳明さんに、
井上蒲鉾店のフェイスブックページに、ぜひ写真をアップしてほしいとお願いした。

「努力はします」

そんな気のないような返事をしながら、彼はちゃんと答えてくれた。


メイキング かまぼこ.jpg




おそらく、彼の片腕たる 次男芳和さんが撮影したのだろうか、
主力商品ラインを製造する本店裏の工場とは別にある、
サブ工場(伊達巻なども ここで製造)での、大蒲鉾のメイキング画像がアップされた。


実は、こんなに大きな、通常の5倍近くの蒲鉾を作るには、実はたいへんな熟練した技を必要とする。

関東の蒲鉾は、こんもりと盛り上げ​る「小田原式」と呼ばれる形式で、
表面と内側では堅​さの違う肉を使っている。
「付け包丁」という蒲鉾製造​独特の、刃も切っ先もない包丁に、
肉を付けては盛り 付けては盛りして行くのだが、
柔らかい肉を盛り上げるのが どんなに大変かは、粘土で立体を作った経験のある人ならすぐわかる。

芳明さんはたいへん研究熱心な方で、練り製品に関するセンスもよい。
昨年秋の新商品「ちぐさ​焼」も芳明さんの考案、研究により完成した。
味見ささせていただいて、これはイケる!と実感した。
「ちぐさ焼」は、エキュート品川のために開発した商品で、まだ全社的なラインには乗っていないけど、
いずれ定番商品となってほしいと思っている。


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そして12月30日の夕方、駅前店に【御蒲鉾】大 が一本残っているのを見た私は、
家に帰ってしばし考えてから店に電話した。

「あの、大きいの 私がいただくから とっといて!」

今まで思ってもみなかったことだけど、やはり あのメイキング画像が効いたのか、
子供の時から知ってる芳明さんが手付けの蒲鉾をぜひ、と思ったのだ。
手に入れてみると、いやはやなんとも大きい重い。
1kgである。普通のが220gだか​ら、5倍近い。
これを独り占めにしてもおもしろくない。みんなで食べたい。

ということで、おおみそかに「ヒグラシ文庫」に持ち込んだ。

それとは別に、福山の伯母から送ってきた くわいをチップスにしたものも持ち込み、
これは ひとつかみ100円、ということで私が売って、その夜の酒代にあてた。



くわい ヒグラシ.jpg




カウントダウンが近づくころ、CDを消して
小さなラヂヲで「ゆく年くる年」をかけて新年の時報を待った。

中原さんは働きづめである。

年が明け、鶴岡八幡宮に初詣にゆく人帰ってきた人に、年越しそばをふるまっている。
鶏つくねと野菜がたっぷり入った蕎麦である。

ひとしきりしたところで、中原さんが、
「そろそろ 行っちゃいましょうか]
と、蒲鉾を取り出した。

みんな、それ見るまで帰れないってw


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中原さんが、まるで魚をおろすように蒲鉾を扱っている。

旨い蒲鉾は厚切りで。1cm以上に切っ​て厚みを喰む感じ。
蒲鉾の厚さについて、私がうるさくウンチクを垂れている間に、
ちゃんと厚く切り分けられ、
みんな手にもってかぶりついた。



うまっ。なにこれ。えーーーーーっ!!

蒲鉾って。 蒲鉾ってさぁー。え?これ、うまいよ。

わー……。なんか、感動だよー。実は​蒲鉾って、旨かったんだー!

という声が聞こえてくる。


味わうのに一所懸命で、言葉にならない。

あまりに、知ってる蒲鉾との認識が違い過ぎて。

私自身、こんなにおいしい蒲鉾をいただいたのは初めてだ。


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合いの手に現れたのが、仙台「鉄塔文庫」肝入りの酒 一ノ蔵特別純米「大和伝」。
「鉄塔文庫」は、この秋開店した ヒグラシ文庫の意思を継ぐ店。
店主 川村 力さんは、それまで ここで呑んでいた人なのだ。

相性ばっちりのお酒と出会って、手付け蒲鉾の味はさらに華とひらく。



この日、私がつくづくとわかったことがある。

それは、上質の肉の おいしい蒲鉾は、大きい方がおいしいということ。
大きい蒲​鉾は、熱源から遠い部分が多いわけで、
乳母日傘でふっか​り育った肉部分がたっぷりあるのだ。
そこは甘く、ジューシーで​、香りよく、なんともいえないコクがある。



そして、端っこ好きの私は、佳い蒲鉾の端っこのおいしさを再確認したのでした。










タグ:井上蒲鉾店
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2011年02月10日

鎌倉ペンクラブ第5号刊行


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鎌倉ペンクラブ第5号が刊行されました。

以前、ここ→ http://bit.ly/gGOA78 に書いたパステル画が表紙に使われています。

今号から表紙の絵についてのコラムを作りました、とのことだったので、私は下記の文を寄稿しました。






「月影の杯」

古代の月は大きかった。あかるく暖かな色で空に浮かび、人々の心にも大きな月が棲んでいた。
時代を重ねるごとに月は遠く、小さくなっていった。
近代になると、燐のように青くひかり、金属の香りがするようになった。
そして月が息をするたびに、科学が色めき立つ。

今夜のお月さまは、どこかとっても古代的。
あのあたたかな光を集めたいと思った。
わたしの記憶のどこかに、古代人に習った呪文が潜んでいるはず。

 
のちづ るふら ぐすとひむ てる てるるふ みとさるー ひけ
 

きれぎれの呪文が月の届いたのか、やがて月光は溶け出し、液体となって杯を満たしている。
月のない夜、行燈に入れて持ち歩けば暗い路もこわくない。
辻の樹の枝にぶらさげておけば、先を急ぐ旅人もここで一休みするだろう。






個展が終わり、一息ついた時に届いた小さな冊子。鎌倉にゆかりのある作家(小説、詩歌俳句など文学関係、ノンフィクション、美術、漫画等)、評論家、ジャーナリスト、エディターなどが、それぞれの鎌倉への思いを綴る。年に2回の発行だけれど、永く続いてほしいと思う。第3号には、私も「パジャマ紳士録」と題して、詩人田村隆一さんについて書きました。ブログのこちらに転載してあります。 → http://bit.ly/al0G2Q


「鎌倉ペンクラブ」http://www.kcn-net.org/npo/403.html





posted by 瓜南直子 at 11:30| Comment(0) | 鎌倉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月05日

【ぬくいわしのかっぱ】

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【MONOLITH】というバーがあった。うちから徒歩1分、小町通りに面した日本家屋の2Fに。

漆喰の壁、オーク材の広いカウンター、真鍮のパイプ。そして広い木枠の窓からは、民家越しにのんびり寝そべる祇園山が見渡せた。

窓の端に割り込む一本の松の枝ぶりと、祇園山に上る月。ハードボイルドな空間から、日本的に暮れてゆく景色を眺めながら、スコッチを飲むのが好きだった。

飾り気のまったくないストイックな空間と、その居心地の良さ、そしてマスターの哲也さんの魅力に惹かれた私は、勝手にホームバーと呼んでいた。

田中哲也さんは、世間でいうところの「マスター」というタイプではない。ウェイトトレーニングで鍛え上げた身体、サングラス、750ccのオートバイにオープンカー。そして散弾銃。バイクに乗ってる姿はほとんどターミネーターだった。

観光客でごった返す小町通りを、ドッドッとバイクに乗ったターミネーターがやって来ると、出エジプト記のモーゼよろしく、サーッと人波が左右に分かれ、道があいた。

どうみても、かなりのコワモテである。

しかし、サングラスを取るとなんか恥ずかしそうなやさしい目が現れる。私は、そのギャップが好きだった。

もと俳優で映画を作りたかったという。いつオファーが来てもいいように、と肉体づくりには余念がない。

哲也さん(私はテッちゃんと呼んでいるが)のハードボイルド嗜好に満ちた空間と優しい人柄、きわめてシンプルなメニュー。そんな居心地の良いバーで、毎日のように時をすごした。

ある日、オイルサーディンを頼んだら、温める?と聞かれた。うんっ、めるめる、ついでに胡瓜もつけて、とお願いした。

フツフツしてるオイルサーディンの缶を脇によけて、お皿に胡瓜を並べ、その上にサーディンを汁ごとあけた。

なにやってんの?という顔でテッちゃんは見ている。

「うーん、お醤油かけたいな、テッちゃん、お醤油貸して」

「ウチはこーゆー店だからお醤油はないんですがね」

と苦笑いしながら、キッチンからお醤油を持ってきてくれた。

これが、おいしいんです。サーディンの油でちょっと温まった胡瓜。そして醤油。


以来、勝手に「ぬくいわしのかっぱ」と名付けてオーダーしては迷惑がられて、またそれを楽しんでいた。


テッちゃんが身体を壊して、店を閉めてしまってからもう、数年以上たつ。あれから、鎌倉もどんどん様変わりし、夜の地図を書き替え、居心地のよい店は少なくなってしまった。

テッちゃんに逢いたい時は、葉山の家に行く。ご自宅もテッちゃんの趣味で統一されているので、テッちゃんがいれば、私には充分【MONOLITH】なんである。


時々、家でも「ぬくいわしのかっぱ」を作る。もちろん話題は往年のテッちゃん話のフルコース。

愛してるんだぜい。



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写真は在りし日の【MONOLITH】。テッちゃんと祖父。



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posted by 瓜南直子 at 11:51| Comment(0) | 鎌倉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月25日

路地ものがたり2.「わたしの線路傍」

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私にとって、散歩みちのスターは、なんと言っても横須賀線の線路傍である。

扇川沿いの道を歩き、むんむんの草いきれを嗅ぎ、川をのぞいてモズク蟹をさがす。小町の小さな踏み切りを右に見て、線路に沿った砂利道を歩く。

右手の家並が途切れて空が開けると、古い木の杭と鉄条網の向こうに、草いっぱいの空き地が続いている。

おそらくJRの敷地なのだろうが、一年中なにかしら花が咲いている。野生ではない。近在の方が手入れをされているのだ。



渡辺京二の『逝きし世の面影』を読んだ時、ふと、この線路傍の情景が浮かんだことを思い出した。

これは、幕末から明治にかけて来日した外国人が記した記録から、我々が失った近代日本の文明を解き明かす名著である。

江戸時代は封建的な暗黒社会のように、私たちは教えられてきたが、この本を読むと彼らがなんと、身の丈に合った豊かな暮らしをしていたかがよくわかる。


そして瓦解、敗戦の二つの断絶を隔て、私たちはもう、それを取り戻すことはできないのだという、悲哀を伴った感動を与えてくれる。


『第十一章 風景とコスモス』では、江戸時代の日本の風景の美しさはもとより、日本人が生活の中に、いかに自然を溶け込ませていたかが描かれている。

塀で囲った自分の庭の話ではない。誰のものでもない空間を庭の続きのように手入れし、そこを通る人の誰もがその風景を満喫できるように設えていたのだ。

自然の地形を生かして美しく整え、花を植え木の枝ぶりをつくり、景観のよいたたずまいを造る。そして、そこに茶店を一軒おく。富める人もそうでない人も、茶店に設えた床机や、そのあたりの切り株などに腰かけて、しばし景色を愛でるひと時を過ごす。

「日本人は何と自然を熱愛しているのだろう。何と自然の美を利用することをよく知っているのだろう」

「江戸は街全体が大きな庭園のようだ」

「街道は手入れが行き届き、旅行者を驚かすように作ったような景色が待ち構えている」

幕末に日本を訪れた外国人たちは、声をそろえて言う。

彼らは、心底驚いたのである。富裕層でない町民や農民までが、こぞって花見や紅葉狩りに興じていることに。物見遊山にでかけ、風光明媚を味わう感性にあふれていることに。


横須賀線の線路傍。ひょっとしたらここには、江戸時代から続く精神が残っているのではないか、その感覚に基づいて築かれた自然空間なのではないか、と私は思ったのだ。

菜の花が終わると株を束ね、種を取るもの以外は刈って、次の花に備える。天をついて咲きほこった立葵も、梅雨の雨風に倒れてしまう。その株を束ねる頃には、カンナの鶏のトサカのような蕾が出てくる。



駅前広場や公園の花壇などとは何かがちがう。「エコ」や「癒し」や「ふれあい」といった、おおげさなお題目などない。

誰かが掛け声をかけたわけでなく、これが私の日常、といった淡々とした自然な姿勢が美しい。私はそこを愛してる。

ただ、世話をしている方もご高齢のようだ。これからも、だれかが受け継いで世話をしてゆくのだろう。向かいの蒟蒻屋さんとは知り合いなので、今度聞いてみよう。いづれ手分けして世話をするのであれば、私もできることをしたいと思う。



季節ごとに、咲き競う花の種類は実に多い。水仙、菜の花、たんぽぽ、菖蒲、ポピー、待宵草、月見草、つるばら、紫陽花、キクイモ、ヒオウギそして圧巻は立葵。

陽炎ゆれる午後、この線路傍で色とりどりの立葵を見ると、なんだかとてもなつかしい気持ちに襲われて、泣きたくなってしまう。

せつない景色。

ここだけは、子供の頃から地続きで存在しているようで、せつなくなつかしい。


そして、水引、凌霄花、カンナ、すすき、コスモス。野菊、われもこう、杜鵑草。がまずみが色づく頃には、枯れ草の中で水仙が出番を待つ。


このガイドブックに載らない景色が、いまだ私を この町にひきつけている。



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posted by 瓜南直子 at 17:31| Comment(0) | 鎌倉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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