
腸の途中から逆流した暗緑色の液が、天井近くまで吹き上がった。
口に含むだけ、と何度念を押しても飲み込んでしまう。何度もやられているうちに、数分後に降ってくる暗緑色の雨からの被害を少なくするように工夫する。
まず掛け布団を避難させる。パジャマの上に新聞紙、首回りにタオル、髪にもタオルをかけておく。雨の量はその時によって違うが、少ない場合は、これで顔を拭くだけですむ。
多い時はパジャマ、シーツ、枕、すべて交換する。私の髪や服にも飛び散っているが、それは後回しだ。何より、病室に持ち込んで描いている挿絵に飛び散らないように気をつけなければ。
そう、「ぼっこ」の挿絵の半分くらいは病室で描いたのだ。
当時つき合っていた詩人の彼が膵臓癌の手術をして半年後、肺に水がたまっているのに雪かきをして、脳梗塞で倒れ、救急車で横浜の国立病院に運ばれた。肺癌で父が亡くなって一月後のことだった。
麻酔もなしに肺に穴を開けて中の水を抜かれ、オムツをあてられた。左半身は麻痺していた。
しかし彼は病院の先生や看護婦さんといっさい口を聞かない。横をむいて返事もしない。ナースコールも絶対しない。ひねくれまくってしまっていた。当然、主治医は私と話をするわけだけれど、家族でもない私には何の権限もない。
「ご家族と連絡を取らないと困ったことになります。おわかりですか」
わかります。でも本人が連絡したくないと言ってます。私には連絡先はわかりません。
という不毛の会話が繰り返され、書類は私の署名(友人)でなんとかおさめてもらった。
しかし、本人は誰とも会話をしない。オムツもいやがるのだから仕方ない。24時間体制でつき合うしかない。やりかけの仕事と道具、Zライトまで持ち込んで病室に泊まることにした。
もう腸が機能しなくなっていたのだろう。2週間後、腸閉塞をおこした。処置室に行き、患部まで管を入れて病室に戻ってきて、主治医の説明を聞いた。でも看護婦さんが出て行ったとたん、右手で管を抜いてしまったのだ。
俺以外のすべての人間が死ねばいい!
倒れて以来、初めて出た文章らしき言葉がこれだった。それまではほとんど単語しか出て来なかったのだ。でも、その言葉のあまりの不明瞭さに自分で気づき、大声で泣きはじめた。
泣き声はナースステーションにまで響き渡り、おかげでかけつけた看護婦さんに事件を知ってもらうこととなった。患部に部品が残したまま無理に引っ張り出してしまったので、果たして二度めはクリップをつけた管を入れて、患部で残っている部品と接合させる、というとんでもない処置になった。
最処置のあまりの苦痛に懲りたのか、おとなしくはなったけど、今度は私を困らせ始めた。腸閉塞だから、絶飲絶食である。私はどこかで適当に食事をする。健康なヤツは残酷だ、隠れて自分だけ何か食ってるんだろう、自分も何かを口にふくみたい、としきりに訴える。含むだけよ、と口の下に洗面器を受けて、ペットボトルを渡す。
最初は事故だったのかも知れない。しかし、二度めからは確実に故意だった。暗緑色のしぶきを浴びて、慣れぬ手つきでバジャマやシーツを替え、壁を拭き、床やその他もろもろの掃除をした。たくさん飲んだのか、一晩に何度も吹き上げたこともあった。ありがたいこと病室はリネン室の向かいにあった。こっそりシーツやタオルをいただきに行った。もちろん病院には内緒である。看護婦さんの仕事を見ているうちにシーツ交換も上手くなった。
何度も何度もやられるうちに、こちらも慣れてきた。そして開き直ってある日、彼に言った。
いいよ。どうせ吐くんだから、いっぱい飲んじゃえば。
そう言ったとたん、観念したのか飲まずに口からトマトジュースを全部こぼした。結局、同じく全とっかえではあるんだけど。
「ぼっこ」の中に、病室のシーンがある。これをどこかほのぼのとしたシーンに描きたかった。でも、見た方がどんな印象を持つかは私にはわからない。
最後にお父さんと庭の桜を見上げるシーンで終わるのだが、彼も桜が満開の頃、4つめに移った郷里の一宮の病院で息を引き取った。
お葬式の写真を取りに、私が鎌倉に戻った時だった。
13年前のことだが、「ぼっこ」の病室と桜のシーンは、今見ても胸がつまる。
でも「ぼっこ」は大好きな本。15版くらいになっているみたいだけど、再版されるたびに誰かにあげてしまうので、今はうちには一冊もない。


