2010年04月19日

絵を描き始めたころ―その1.

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「絵のことは書かないんですか」

と、かかってきた電話で単刀直入に言われた。昔、デッサンなどを教えていた女の子からである。

「食べたとか、食べたいとか、おもちゃのこととかばっかりじゃないですか」

うう。電話の向こうで、そんな無邪気な目をして真剣に言わないで。

「何でもいいんです。絵のこと書いて下さい」

いや。そうだけどね。おもしろくないよ。自分で読んで、おもしろくない文なんか書けないもの。それに、今日は何描いたの、うまくいかなかったの、そんな絵描きのブツブツなんて、つまんないよ実際。

「そんなことないです。そうゆうの読みたいです。書いて下さい」




この真剣真面目なツッコミに、たじたじとなり「なんとかしてみる」と、もごもご返事をして電話を切った。

考えてみれば四六時中、頭の中に絵が棲んでいるけど、「絵とは」なんて考えたこともない。まあ、少しずつ周りから攻めていけば、多少なりとも自分と絵のかかわりを見つめ直せるかもしれない。そう思って、絵の道具や額縁などのことから、ブログに書き始めたのだった。

そんなある日、ツィッターのタイムラインを眺めているとき、背中がザワザワしてきた。おそらく誰かの言葉がきっかけとなったのだろう。

突然、初めて絵を描いた頃のイメージがよみがえった。




それは33の時だった。

美大に進みはしたが、卒業後、膨大な設備の揃った鍛金の工房を持てるはずもなく、美術からは遠ざかっていた。

呑むのに忙しく、10代の頃から続けていた詩や散文、小説なんかを書いてなんとなく自意識をおさていた。

しかし、私にとっての文学の道はどこかにたどり着けるものでも、何かを積み上げてゆけるものではないとわかった。

ただ、大学で専攻した立体の感覚と、イメージを言葉で紡ぐ習慣とがどうにもなじまない。じゃあ、絵、かな。絵なのかな。イラストのようなものしか描いたことないんだが、絵しかないのかも知れない。

そして、言葉を絵に置き換える作業が始まった。

だから私は、初めに「絵ありき」なんかではない。たどりついたのが絵だったんだ。




写真は、初個展の案内状。一枚めの、この絵を案内状に使ってしまう大胆不適者です。

1989年『蝉丸』F30




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posted by 瓜南直子 at 11:53| Comment(1) | 絵とその周辺に棲むもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月07日

石膏デッサン入門―その2

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美大出身の人たちと飲んでいると、受験の話になることがある。

すると、石膏像に対する怨嗟の声が、あちこちから沸き上がってくる。曰く、ヒドイ目にあった。二度と二度と見たくない。オレはあんなものを芸術とは認めない…。

受験生活が、それほど永くなかったせいか、私自身は石膏像への愛着も恨みもないので、ひえー、そんなもんですか、とたじろいでしまう。まあ、もう二度と描かなくていいんだから、もう縁はないんだから、となだめるしかない。


たしかに二度と縁はないはずだった。数年前、食玩、フィギュア雑誌を読んでいた祖父が、興奮して叫ぶまでは。


「なんやあー!!こんなもん出てるぅ!!欲しい、欲しい!!」


見れば、『石膏デッサン入門』というフィギュアらしい。石膏像フィギュア!そんなものが出るなんて。しかも、監修『すいどーばた美術学院』とある。『すいどーばた』、通称『どばた』は、私が通っていた予備校ではないか。

さっそく買うことにした。全種類欲しいから、ここは箱買いオトナ買い。お財布つかんでフィギュア屋さんへ走った。

家に帰って、わくわくと開くと、あっモリエール!あっ、ブルータス、マルス、パジャント、アリアス……。すごく、ものすごくよくできてる。

あちこちから眺めて、昔描いた角度を確認しているうちに、突然、石膏デッサンやりたい病にかかってしまった。

芯抜き用の針金、摺筆、食パン、スポーク、とデッサンに使う道具を思い出しては、「あった、あった」と大騒ぎ。そんな遊びをしているうちに、気分はどんどん盛り上がって行き、もはや居ても立ってもいられない状態になった。

以来、町で酒場で、美術系の人を見つけてはフィギュアを見せて、石膏デッサンやろーよ、やろーよ、と火をつけてまわった。鎌倉は、美大出身者が多いのだ。

しだいに乗り気の人が増えてきて、どこでやるんだ石膏どうするんだよ、イーゼルあるのかよ、と話は具体的になって行く。

場所と設備は、鎌倉美術研究所の瀧本所長にお願いして、休みの日を借りることが決まった。かくして、私のたくらみは実現の運びとなり、チラシを作って飲み屋で配った。

タイトルは「中高年のための石膏デッサン教室」

当日集まったのは、画家、イラストレーター、CMディレクター、グラフィックデザイナー、建築家、画材店夫人など10人ちょっと。平均年齢50、といったところ。


あれ?何で消すんだっけ?食パンだ。おー、そうだった。あ、木炭の芯て何で抜くんだっけ?針金だ、いや、ホウキだよホウキ。と、受験生が赤面しそうな会話が続く中、イーゼルをガタガタ鳴らして、石膏デッサン会は始まりました。

しかし、石膏像に向かって、どの向きに座るのかさえ忘れてる。イーゼルの高さ調整もわからない。そして何より、見えないのである。

「見える?」「見えないねえ」「こ、腰が」「か、肩が」

後ろに下がって見てる人から聞こえるのは、みなこのセリフ。

当初、6時間描くつもりで意気込んでいたが、瀧本氏の「そんなに続くわけがない」に押しきられ、3時間で終わったが、正解だった。緊張感が続かないのである。

その後、一応講評会もして、一等賞には近所の飲み屋から金一封が授与されるという、小さな町ならではの特典がつき、なごやかに石膏デッサン大会は終わった。

「ラボルト」なんて難物を選んで、うまく形が取れなかったけど、私は十分満足した。

でも、木炭紙の裏に描き始めてしまった祖父は、気がついた途端に気力が萎え失せ、ほうり出してしまったのでした。


後で聞けば、もう石膏デッサンなんてものは、美大受験の定番ではないらしい。つまり石膏像フィギュアも、レトロ路線だったんですね。

まんまと、はまりました。


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posted by 瓜南直子 at 23:26| Comment(0) | 絵とその周辺に棲むもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月02日

石膏デッサン入門―その1

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受験が終わったら、石膏像なんか2度と見たくない、と思っていた。

ところが、藝大の石膏室に入った途端、描きたくなってしまった。ガッタメラータ将軍全身像。ラオコーン群像、メディチ家の墓。サモトラケのニケ……。

美大受験生のバイブル、雑誌『アトリエ』で見た、石膏像の全身像の数々がここにあった。


石膏室では、サモトラケのニケが一番人気。まだ受験体質の抜けない入学したての学生が、席取りよろしく、ぐるりとイーゼルを並べている。

あれこれ迷ったあげく、私は聖ジョルジョ全身像をえらんだ。

あの西洋人にあるまじき平坦な顔、いったい何に困ってるんだ、その眉間のシワはっ。似なくてさんざん困らされたもんだ。浪人中の恨み晴らさでおくべきや。まずは、コイツをやっつけてやろうと思った。

ところが、全身像の聖ジョルジョは、雄々しく若々しく、気品さえ漂っているのである。妙な切り方をしたために、不自然なフォルムに表情が強調されて、陰湿なムード漂う胸像とは、全く違う。

美しい。怨念と感動に身を引き裂かれながら、一枚描き終えた。


それきりである。ジョルジョ征伐で気がすんだらしく、そのあと、めったなことでは石膏室に近寄らなかった。


在学中から、美大予備校『鎌倉美術研究所』に、講師として行っていた。受験の実技科目の、デッサンや塑像などを教えるアルバイトである。その間、指導はしても、自ら石膏デッサンを描くことはほとんどなかった。

ヘタなのがばれるからである。

私はもともと絵が描けたわけではないし、デッサンも美しいとか上手いだとかではなく、一所懸命にかきましたね、というタイプなのだ。

予備校には、デッサンの達人のような生徒もいっぱいいるのである。

とてもじゃないけど、描けない。
―続く―

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posted by 瓜南直子 at 13:26| Comment(3) | 絵とその周辺に棲むもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月09日

絵の周辺に棲むもの−絵の具−

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カッチャカッチャカッチャ。ズリズリズリ。カンカンカン。

なんの音でしょう。

カッチャカッチャは、お皿の中でお匙で絵具を混ぜてる音。

ズリズリは、乳鉢で胡粉や水干をあたる音。

カンカンは、混ぜた絵具を漏斗で瓶に移し、漏斗に残った絵具をふるい落とす音。

「なんや、えらい楽しそうな音させとるやんか」

隣の部屋で祖父が言う。

チューブから大理石の板に絵具を出し、筆で黙々と混ぜるだけのだけの油絵に比べると、日本画は作業が多い。

祖父が油絵を描いてる時に出す音といえば、イーゼルの高さをガタコンと調節する音と、ため息くらいのものである。


以前、文筆家の人に言われたことがある。

「いいですよね、絵描きさんは。いろいろやることがあって。私ら、いきなり原稿用紙ですから。なんか前置きがないかな、と思ってエンピツ削ったりするんですけどね」

漫画家は、枠線を引くのが導入部になるらしい。


そうしてみると、日本画が一番、ある意味で雑用が多く工芸的なのかもしれない。


絵具は、横浜の『絵具屋三吉』、京都では『放光堂』で買う。

日本画で使う絵具は、「岩絵具」と言って岩を砕いたものや土なのだが、私の場合、生の色のまま使うことはほとんどない。
絵具をブレンドして、好みの色を作るのだ。色見本となるのは、『日本の伝統色』とか仏画や障壁画の画集である。

瓶に入れ、色の名前をつけてシールに書いて貼る。何と何を混ぜたかも忘れずに書いておく。


色の名前の由来はさまざま。「渋紙色」「檜皮色」「錆青磁」などは、伝統色からとった。「緑青ブレンド」「カナン象牙」「中間色」は好みのブレンドカラー。「グレーズ色」「肌赤み色」などは技法から。

それぞれ、細かいの粗いのがいろいろあり、全部合わせると500本ほどの瓶があることに、今気づいて自分でもびっくりしている。


岩絵具は、粗く砕いたものと細かく砕いたものでは、色味も明度も彩度も違う。6番7番9番13番と絵具は細かくなってゆき、一番細かいのを白(びゃく)番という。

粗い絵具の色のままで細かい絵具が欲しい、となると、粗い絵具を色見本として、ブレンドして作るのだ。「岩岱赭9番色(白)」なんて変な絵具はこうしてできる。



と、絵を描くつもりで絵の具を作っているうちに夢中になり、気がつけば何時間もたっていて、もういいや今日はおしまい、なんてこともよく、いや結構あります。


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posted by 瓜南直子 at 15:05| Comment(0) | 絵とその周辺に棲むもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月06日

絵の周辺に棲むもの−シール−

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作品が完成すると、サインをして、シールを貼る。
日本画の場合、署名落款が本式のようだけど、私の絵に落款はできない。紙でなくキャンバス、しかも白亜などの地塗りをしていない生の麻布(裏には膠がひいてある)に、下地でマチエールを作ってあるので、かなり凸凹なのである。

なんとか、落款風のサインでお許しいただいている。

パネルの裏と、額縁の裏蓋にはシールを貼るのだが、これは手作りしている。

和紙を屏風だたみにして、折り目に筆で水を塗り、ふやけたところに定規を当てて裂く。そこに黒インクとペンでタイトルと制作年、サインを書き、落款。

この落款の印は、銀座『森田画廊』の高橋すみ子さんに作っていただいたもの。

高橋さんは、森田画廊オープン時からずっと、オーナー森田茂昭さんの片腕となってきた方である。
『月刊美術』の特集「めざせ!マッドコレクター」に初めて載った私の作品を、森田さん共々購入して下さった。

ある意味、お二人は私が画家として歩き出すのを後押しして下さったのだ。


高橋さんは、そのたたずまいにどこか「昭和の東京人」という空気を持った方である。

おばあさまが丹精されたぬか漬は絶品だったし、お母様は若い頃から着物で、今も着物で過ごされることがほとんど。足袋は銀座の「むさし屋」で、と決められているという。高橋さん自身の趣味は篆刻とリコーダーだ。

そこに何かしら、「昭和の東京人」という折り目のようなものを感じるのである。

デザインは高橋さんにお任せした。彼女の持つ空気を私が気に入っていることもあるし、篆刻は彫り職ではない。字や名前や人となりをイメージして、念じて彫るものだろうからである。

かくして、出来上がった印は、瓜からの連想だろうか、私のイメージだろうか、桃か栗のような形である。

おっとりとした感じが気に入って、作品シールのほかに手紙などにも押している。

小品用のシールには、画面と同じく、落款風のサインを書いている。


シールを書くころには、絵の完成も見えてきて、浮気者の私は、もう次の絵に心が盗られてたりもするのだ。


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森田画廊

http://www.ginzamoga.com/
posted by 瓜南直子 at 14:44| Comment(0) | 絵とその周辺に棲むもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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