2012年02月05日

チャンドラー方式


みょみょっと角が出た。


チャンドラー方式というものがあるらしい。
作家のレイモンド・チャンドラーのことである。

「たとえ一行も書けないにしても、とにかくそのデスクの前に座りなさい、
 とにかくそのデスクの前で、二時間じっとしていなさい」

というチャンドラーのメソッドを、小説を書く村上春樹が「大切なことかもしれない」と
心の内にピンで留め、「チャンドラー方式」と名づけたものだ。


ただし、デスクに座っている間,手紙を書くとか本を読むとか猫と遊ぶとか、
ほかのことをしてはダメで、ひたすら座っているのだそうだ。
身体のリズムから、何かが生まれてくるのをじっと待つのである。

これが私にはとてもしっくりくる。

昔から、何も浮かばない冴えない、何していいのかわからない時は、ただただ画室の机に座っている。
チャンドラーさまと違うとこは、何かしてしまうところだけど、基本は「篭る」ことである。
こういう時は、気分転換なんかしても、楽しくなんかないんである。

もちろん、急ぎの仕事などはしていたけれど、
自分の制作の道筋にどんな光をあてて陰影を創るか、という司令塔たる部分を盤石にしないと動けない。
よく働く小人さん、絵描きのカナンが働けないのだ。



で、籠った。もちろん用事や仕事や買い物には出かけるし、
電気切るぞとおどかされば電気代も払いにゆく。ごはんも作る、
twitterもfacebookも見るし投稿もする。
けど、ただ一日数時間 画室にひとりでいるようにした。

あと、落ち葉掃除がいい。ただただ落ち葉を集めて、庭の隅の落ち葉の墓場に積むだけの簡単なお仕事。
腰にはくるけど、こういう黙々とした作業が効く。


なんて言うか、お声がかかるのを待ってる感じ。
お声がかかりやすいようにあれこれ環境を整えてる感じ。
その間はやっぱりくるしい。あらゆる雑念と戦う感じもあるし、
そういう雑念が生まれる自分を嘆いたりもして、いろいろとたいへんだ。



けど2、3日前から何か見えてきた。くすんで見えてた描きかけの絵も、動いて見えるようになった。



そして、「これ、つかみなよ」って感じの角が、みょみょっと出てる。


よし、これつかんでぶんぶん振り回してもらおう。
昨日は、ようやくノートにおおまかな制作の予定を書きこめるまでになった。

ここから仕事を割り振って、やっとよく働く小人さん、絵描きのカナンの出番がやってくる。


気分転換などはこれからだ。お散歩もこれから。


と、思ってたら、放置してた注文作品の催促が来て焦ってますが、
みょみょっの角をつかんだ私は堂々としていられるのだ。




posted by 瓜南直子 at 07:37| Comment(5) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月02日

和食のしつらえについて考えてみた。


口取りS.jpg




お正月は、基本的にお雑煮さえあればいい。

お雑煮は、シンプルなものが好きだ。
根無し草の私は、このお雑煮でないと、というこだわりはない。
核家族で、しかも成長期のお正月が毎年、旅行先だったこともあって、
お雑煮に土地に根付いた行事食というイメージを持てないまま成長した。

私が作るお雑煮は、京都の白味噌のお雑煮、かぶら蒸し風の かぶのみぞれ雑煮、
そして私が生まれた能登のお雑煮。

ただ、ちょっとした口取りは欲しい。煮しめも欲しい。口変わりに酢漬けもあるほうがいい。

ということで、いくつか作るものがある。
どれも手が覚えているので、本をひもとく必要のない簡単なものだ。

数の子、慈姑うま煮、たたき牛蒡、酢蓮、鰆味噌漬、煮しめ、
ごまめ、菊花かぶ、七色なます、棒だら旨煮。

そこにおいしい蒲鉾や伊達巻や二色玉子があれば、大満足。

その年によって、種類が多かったり少なかったりするけど、基本のラインナップは変わらない。
どこかお国柄があるといいのにな、と思うけど、どこのお国の人でもなく育ったので、特徴と言えるものがない。

唯一、慈姑(くわい)だけは親が産地の広島県福山市の出身で、
伯母が毎年 一箱送ってきてくれるので、旨煮、素揚げ、くわいチップスなどを堪能できる。


今年は煮しめを筑前煮にした。八つ頭と海老芋、お雑煮に入れる金時にんじんだけは別に炊いた。

ごく簡単なものばかりだし、人数も少ないのでお重に入れるほどのものでもない。
それでも、きりっと盛り付けると、お正月っぽくなる。
うちの狭い庭や路地で、菊や笹の葉、紅い実を摘んできて彩りに使う。




日本料理の盛り付けは、「見立て」だ。
庭や活け花、盆栽に通じるものがある。
懐石の八寸など、ものと空間との関係に石庭のような緊張感がある。

そして、楽譜にならない「間」がある。
これは、鹿おどしや邦楽などにも通じる、呼吸を読む「間」の感覚。

書における、墨と余白のせめぎあい。
わずか十七文字で世界を切り取る俳句。
梅や松の枝ぶり。一輪挿しに活けられた花。

どれも「実」たる物や音、言葉と「虚」たる空間のぎりぎりの拙攻で成り立つ美学がある。

そのすべての完成された形として、茶室の設え、空間があるのではないか。

盛ってゆくのでなく、削って削って余韻や間にも役割を与え、
最低限のもので空間とわたりあうという感性から生まれた様式美。

私が作るのは、単なるおかずにすぎないけど、器との相性、そして間合いの呼吸だけは考えている。

和えものなどは、天地で味の染み方が違うので、いざ食べる段には混ぜてしまうので一瞬のことだけど、
食卓に並べた時 ひととき観賞できる景色を作りたい。

画室や寝室におさまりきらないパネルが、玄関にも積み上げられ、さらに場所がなければ、
そこで下地仕事もするという、飯場のような環境で生活している。
だから、せめて小さな食卓の上だけは、にわか作りでも キリッとした設えにしたいのだ。

なんとか視界を卓上にとどめて、あまり周囲を見ないようにして。



くわい煮S.jpg


くわいについてはコチラ「くわいな幸せ」
http://kanannaoko.seesaa.net/article/139301546.html






posted by 瓜南直子 at 13:05| Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いつもなおかず6.たたき牛蒡



たたきごぼうs.jpg




ごぼう大好き。
あの 若武者のような香りがいい。

地元の市場で買った掘りたてのごぼうが何よりおいしい。
ごぼうは関東の黒土が合うみたいで、キワキワに香りが高くてうれしい。
葉ものは関西に負けるけど、ごぼうだけはゆずれない。

ごぼうの香りを味わうには、たたきごぼうがいちばん。



私の作り方はこうです。

ごぼうはメッシュのたわしなどで洗って、茹でる鍋に入る長さに切ります。
10分ほど水にさらしたら、沸騰しているお湯に入れます。
箸と指で加減を見ながら、少しクニッとしたら、まな板に引き上げます。

すりこぎか包丁の柄で、とんとん叩いて割れめを作ります。

この時、たたきごぼうを作る幸せの第一波、
例の若武者の香りがくーん、と立ちのぼってきます。

4cmくらいに切り揃え、つけ汁に浸します。

つけ汁は、出汁とお酢、淡口醤油、みりんにタカノツメ少々、
たまり醤油かシーズニングソースで味を決めたもの。
あまり濃い味にしない方が、ごぼうの味が生きます。

一日ほど浸して、つけ汁を切り、粗めのすりごまで和えます。


口に入れると、黒土育ちの皮の風味、若武者の香り、歯ごたえ、旨味と酸味、
そこにごまの香ばしさが加わって、じんわりじんわりおいしい。
この 幸せの第二波は長続きします。


ものの本によると、生のごぼうを叩いてから茹でる、と書いてあるものが多いのだけど、
それだと味が抜けてしまうんじゃないかと思うんですけど。

特に、最近の味と香りの淡いごぼうは。






posted by 瓜南直子 at 11:59| Comment(0) | いつもなおかず | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月29日

コラム表紙を語る5. 【絵の周辺に棲むものー「岩絵具」】


              
文筆家の人に言われたことがある。


「いいですよね、絵描きさんは。仕事始める前にいろいろやることがあって。
こちらは、いきなり原稿用紙ですから。なんか前置きがないかな、
と思ってエンピツ削ったりするんですけどね」


そう、私にはその日の仕事に入る際に、いくつかの作業がある。


まず音楽をかけて描きかけの絵をながめ、本日の式次第をメモする。
つまり、仕事の順序を箇条書きにしておくのだ。
そして膠を作り、筆や絵具を選ぶ。

これが導入部となって、次第に気持ちが絵に入ってゆく。
漫画家は、枠線を引くこと、書家にとっては、墨をすることが導入部になるらしい。



私が使っている絵具は、日本画で使う「岩絵具」。
チューブに入っている油絵具などと違い、鉱物や岩を砕いたものや精製した土で、
これを膠で溶いて画面に定着させる。同じ岩でも粒子の粗さによって、色味も明度も彩度も違う。
粒子の粗い天然岩絵具は、瓶に入れてあるだけで、うっとりするほど美しい。

しかし私の場合うっとりしていたら、ただ眺めているだけになってしまうので、
そのままでなく、絵具を焼いたり、何色か混ぜるなどして、好みの色を作っている。



色見本となるのは、仏画や障壁画の画集である。
または散歩の途中で拾った石や木片、苔、日に灼けた障子紙だったりする。
先日も、二条城の釘隠しや柱に施された、銅の装飾の緑青などを撮影してきた。
拡大プリントしておくと、色やマチエール(絵肌)の参考になるのだ。

出来た絵具は瓶に入れて、色の名前をつけてシールに書いて貼る。
何と何を混ぜたかも忘れずに書いておく。



色の名前をつけるのがまた楽しい。
「渋紙色」「檜皮色」「錆青磁」「媚茶」「梅鼠」などは、日本の伝統色からとった。
天然岩絵具を焼いて、色に深みを出したものは「焼白緑」「焼緑青」「焼岱赭」など。
いつのまにこんなに増えたのか、数えてみたら五百本ほどの瓶があることに、自分でも驚いている。



と、絵を描くつもりで絵具を作るのに夢中になり、
気がつけば何時間もたっていて、もういいや今日はおしまい、
なんてこともたまに、いや結構あります。

                          

【表現者】40号「コラム表紙を語る」より転載  




S.jpg






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posted by 瓜南直子 at 16:12| Comment(5) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いつもなおかず5.「かれい干しました」



地元の丸七マーケットの魚屋で「柳かれい」を売っていた。
かれいの干物に目がない私は、迷わず買って帰った。
買うと高いかれいの干物を、作って食べるつもりである。

先日、まぐろの血合いジャーキーのために干物箱を作った。
しかし、干物箱作って待っていても、まぐろの血合いは、なかなかいいものに出会えない。

出番がないまま、玄関の隅で干物箱がさみしそうにしてる。
彼にも活躍の場を、と思っていたところだった。


かれいs干し.jpg




かれいのウロコを引き、おなかを出して軽く塩をして、経木にはさんで一晩置いた。
かなり水が出たので、串に刺して干物箱に設置。
長さがあったので、対角線におさまるようにした。

干物カゴなんてものも売ってるけど、あんなヤワなものでは役に立たない。
なにせ町なかなのに、へび、カラス、トンビ、リス、アライグマ、ハタネズミなどが
家のまわりに棲息するという野蛮な環境である。
ごみ収集所も、ネットから組み立て式の金属のものに変わったくらいなのだ。

で、金網を6枚、百均で買ってきて、組んで針金で留めて干物箱とした。
しかし、構造的にはわずかな衝撃で、すぐたわむ ゆがむ へしゃげるのが特徴、
というようなシロモノである。
フックをつけて、庭の木に吊るしておいたけど、一日中気が気でない。

ときどき見にいっては、無事の様子に胸をなでおろして日が暮れた。
その日の夜と翌日は、お風呂の窓のコーナーに吊るしておいた。


そして夜。
どんなになってるやら、と見に行くと、
カパーンと干し上ったかれいがいた。

こんなにちゃんと干してあるかれいは見たことがない。

たいてい生干しで、買ってきて経木やピチットシートにはさんで水を抜かないと、
なんとなく生ぐさいものが多いのだ。



かれい焼きs.jpg




お酒をスプレーでプシュプシュしてしばし置いてから焼きました。
網とかれいにお酢を塗って。(くっつかないためです)
よく乾いてるので、網にくっつくこともなく、
からんっと焼き上がりまくた。

香りに、すだちとお醤油をプラスして食べたら、
胸のあたりは、身がふっかりしておいしく、縁側は香ばしく、
しっぽの近くは身の旨味がギュッとつまっていて、
それはそれはおいしくて、食べてるあいだ中、にまにましてました。

食べていて、ふっと気がついたのは、これは「柳かれい」として売られてたけど、
「ヤナギムシカレイ」ではなく、「ヒレグロ」だったんではないかと。
「ヤナギムシカレイ」とは、色も香りも違ってました。
コーフンのあまり、食べるまで気がつく余裕もなかったみたい。
どうりで安いはずだ。

でもいい、干物というおもちゃが増えたことだし。



かれい骨s.jpg



いずれ、カラスの総攻撃に合う日がくるかも知れないけど、
めげずに干物を作るぞ わたくしは!





posted by 瓜南直子 at 15:52| Comment(0) | いつもなおかず | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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